ジュンガル、清の進出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 09:29 UTC 版)
「中央アジア史」の記事における「ジュンガル、清の進出」の解説
16世紀にウイグル人国家であるヤルカンド・ハン国が成立したが、この支配者もチャガタイ系でモンゴル系であった。ヤルカンド・ハン国は、17世紀に北方からやってきたオイラト族のジュンガル部に滅ぼされた。さらに、18世紀なかばにはジュンガルが清により征服され、その支配下に入った。清朝の支配では、イリ将軍統治下の回部として、藩部の一部を構成することとなり、その土地は「ムスリムの土地」を意味する「回疆」、もしくは「新しい土地」を意味する「新疆」と呼ばれた。
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