ウガリット 遺跡

ウガリット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/28 07:24 UTC 版)

遺跡

ウガリットから発掘されたバアル神の神像(ルーヴル美術館所蔵)

ウガリットは長らく忘れられた都市であったが、1928年に付近に住むアラウィー派の農民が海辺の畑の中から偶然古い墳墓を見つけたことから発掘につながった。最初に見つかった部分はウガリットのネクロポリスであり、発掘が進むにつれ、港町でかつチグリス川ユーフラテス川流域への内陸交易路の出発点でもあるという重要都市であることがわかり、またメソポタミアウルエリドゥなどとも並ぶ都市文化の故郷であることもわかってきた。

ウガリットからは、8つの中庭の周りに90の部屋をもつ王宮が発掘されている。その他、街には個人用の大きな住宅多数や、2つの個人図書館(うち1つはラパヌ Rapanu という外交官のもの)もあり、外交文書・近隣諸国との往復書簡・裁判文書・経済関係の記録・不動産取引記録・教育用文書・文学書・宗教文書など、楔形文字で書かれた粘土板多数が発見された。街は丘の上に作られ、その頂上にはイル神の息子バアルの神殿と、ダゴンの神殿の二つが建っていた。

ウガリットの遺品としては紀元前14世紀紀元前13世紀の豊富な出土物が知られ、特に重要視されているのは粘土板文書である。楔形文字の粘土板がまとまって出土した場所が遺跡内の数か所にあり、これらは王宮内の図書館、神殿内の図書館のほか、当時の世界では珍しいことだが二つの個人用の図書館であったと考えられている。発見された文書はみな、ウガリットの末期にあたる紀元前1200年頃に遡る。ウガリットで発見された粘土板に使用されている言語は、この地で初めて見つかったウガリット語、メソポタミアの古典に用いられたシュメール語、当時のオリエントで外交などに広く用いられたアッカド語のほか、フルリ語ヒッタイト語古代エジプト語楔形文字ルウィ語ミノア語などであった。使用された文字はアッカド語楔形文字英語版が最も多いが、古代エジプト語やヒッタイト語のヒッタイト語楔形文字、エーゲ海域に由来する音節文字なども見られる。

この中で特に注目される事は、楔形文字を簡略化した独自の文字ウガリット文字の存在である。これはウガリット語とフルリ語の表記に用いられた。ウガリト文字の文書には、経済・行政・外交に関わる散文のものと、ウガリット神話や祭儀・叙事詩などの韻文のものがあり、教科書や辞書も存在する。ウガリット神話集はカナン地方のバアル神崇拝の大本となる物語集であった。








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