アンソニー・タウンズ アンソニー・タウンズの概要

アンソニー・タウンズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/06 03:15 UTC 版)

Anthony Towns
2007年
生誕 (1978-06-21) 1978年6月21日(44歳)
メルボルン オーストラリア
職業プログラマ
著名な実績Debian

長年Debianのリリースマネージャ、ftpmaster[1]チームメンバーとして携わり、のち、2006年4月17日から2007年4月17日までDebianプロジェクトリーダーを務めた。彼は1990年代後半にクイーンズランド州ブリスベンに移り住んでから、linux.conf.auの主催組織で、アンドリュー・トリジェルなど著名なオーストラリアのFLOSS開発者が参加するLinuxユーザー組織、Linux Australia英語版の書記も務め、またクイーンズランド大学UNIXユーザーグループHUMBUG[2]のアクティブメンバーとして活動している。

Debian

アンソニー・タウンズは1998年初頭にDebianプロジェクトに参加した。彼はDebianバグ追跡システム英語版(BTS)[3]並びに、彼が作成した、Debianオペレーティングシステム上のネットワーク初期化スクリプトifupdown[4]の改善に多大なる貢献をしている。

彼はまた、パッケージアーカイブの改善ならびにリリースプロセスの策定に関しても取り組んでいる。2000年、彼はリチャード・ブラークマン(Richard Braakman)に代わってDebianリリースマネージャに就任し、同年8月、無事Debian GNU/Linux 2.2 (コードネーム: potato)リリースに漕ぎ着けた。

ジェームズ・トループ(James Troup)により、パッケージプールというDebianアーカイブの新しい形成手法が取り入れられてから少し経って、同年にアンソニー・タウンズはtesting(テスト版)[5]という、Debianパッケージのunstable(不安定版)からのパッケージの伝播の受け皿となるディストリビューション[注釈 1]を作成した。このtestingはリリース前になるとパッケージのバージョンアップグレードを停止し、リリースに障害となる重大なバグ(Release Critical bugs, RC bugs; リリースクリティカルバグ)[6]の修正に全力を注ぐため、frozenというリリースになる[注釈 2]。そしてRC bugsが0になるとstable(安定版)として正式にリリースされる。

タウンズは2002年にDebian GNU/Linux 3.0 (コードネーム: woody)がリリースされる間もリリースマネージャの地位にとどまった。彼は2004年までリリースマネージャを務め、彼が以前助力していた2人、Steve Langasekとコリン・ワトソン(Colin Watson)[注釈 3]に正式にその地位を譲った。この間、リリースプロセスがやや停滞し、Debian GNU/Linux 3.1 (コードネーム: sarge)のリリース準備の完了は2005年にずれこんだ。

2004年、彼は、一般決議2004-003(General Resolution 2004-003)[7]の厳密な解釈に基づき、Debian社会契約Debianフリーソフトウェアガイドラインの適用範囲を文書、ファームウェア画像などDebianに含まれるあらゆるものに拡大する旨の議決を提起した[8]。のちにこの提起内容を含む一般決議2004-004(General Resolution 2004-004)[9]が提出されたが、Debian開発者の大多数はsargeリリース後まで議決延期とする案に投票した[9]。このことは様々な問題を提起している。詳細は、Debianフリーソフトウェアガイドライン#ソフトウェア以外の内容を見よ。

リーダーシップ

彼は、2005年Debianプロジェクトリーダー(Debian Project Leader; DPL)選挙に出馬したが、有効23票差でブランデン・ロビンソン英語版に敗北した[10]。彼は2006年にも再度出馬し、2006年4月9日に新しいDebianプロジェクトリーダーに選出された。彼の任期は2006年4月19日より開始している[11]。タウンズは、DPL選挙にてプロジェクト史上2番目の僅差で選出された開発者であった[12]。そして、彼はプロジェクト史上初の、プロジェクトリーダー解任動議に在任中に直面することとなる[13](理由は後述)。またこれもプロジェクト史上初だが、Debian開発者によるDPLの再承認に関しても発議されている[14]

ヨーロッパにおいて開催されるDebianに関する非常に多くの作業のため、タウンズは"Debian Second in Charge" (2IC; 副リーダー)という役職を設けた。これは議論のリード、開発者の支援を行うため、彼よりもむしろプロジェクトを代表する"次点"のリーダー候補が最適であると位置づけており、スティーブ・マッキンタイアーが就任した[12]

2006年9月、Debianの次期バージョンetchを予定どおり2006年12月4日にリリースさせるための資金調達計画Dunc-Tankが発表された[15]。タウンズのDunc-Tankへの関与は、Dunc-TankプロジェクトがDebianプロジェクトの公式の総意ではないことを明らかにする目的で、未だ嘗て見たことのない、彼のDebianプロジェクトの指導権剥奪を求める程の激しい非難を呼んだ。幾人かの開発者は、この計画に対抗し費用が支払われない作業を遅滞させた[16]。この計画は実際に始動したものの、期待むなしく、予定であったetchの2006年12月中のリリースは達成されず、結局2007年4月のリリースとなった。にもかかわらず、タウンズはDunc-Tankとの対立は結果的にetchリリースの品質向上につながったことを強調しており、Dunc-Tankプロジェクトの成果を肯定的にとらえている[17]

2007年、タウンズはDPL任期満了後、再度DPL選挙に出馬したが当選しなかった。これはプロジェクトの歴史においては、ビーデール・ガービー以来である。

脚注


注釈

  1. ^ Debianの用語では、unstable, testing, stableなどをディストリビューション(配布物)と呼んでいることに注意。これは、所謂Linuxディストリビューションという意味とは異なり、リリースという用語に近い。
  2. ^ 但し、APT等で認識されるリリース名はtestingのまま変化はない。
  3. ^ 現在両名はUbuntuの開発者としても有名である。

出典

  1. ^ ftp-master.debian.org
  2. ^ HUMBUG
  3. ^ Debian bug tracking system
  4. ^ Debian - Package Tracking System - ifupdown
  5. ^ Debian “testing” distribution
  6. ^ Release-critical bugs status
  7. ^ General Resolution: Editorial amendments to the social contract”. Debian (2011年2月6日). 2011年2月11日閲覧。
  8. ^ Anthony Towns (2004年4月26日). “Social Contract GR's Affect on sarge”. Debian. 2011年2月11日閲覧。
  9. ^ a b General Resolution: Sarge Release Schedule in view of GR 2004-003”. Debian (2011年2月6日). 2011年2月11日閲覧。
  10. ^ Debian Project Leader Elections 2005”. Debian (2011年2月6日). 2011年2月11日閲覧。
  11. ^ Debian Project Leader Elections 2006”. Debian (2011年2月6日). 2011年2月11日閲覧。
  12. ^ a b Anthony Towns (2006年4月23日). “Bits from the DPL”. Debian. 2007年2月23日閲覧。
  13. ^ Denis Barbier. “General Resolution: Recall the project leader (一般決議: プロジェクトリーダーの解任)”. Debian. 2007年2月23日閲覧。Seconds(決議支持者)の欄を見ると、動議の対象となっているはずのタウンズ自身が投票していることが分かる。
  14. ^ General Resolution: Re-affirm support to the Debian Project Leader”. Debian. 2007年2月23日閲覧。
  15. ^ Announcement of Dunc-Tank.org”. dunc-tank.org. 2008年2月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年8月13日閲覧。ボードディレクターはタウンズ、スティーブ・マッキンタイアーセオドア・ツォー、ジョイ・ヘス、ラファエル・ヘルツォーク(Raphaël Hertzog)。
  16. ^ Steven Vaughan-Nichols (2006年12月18日). “Disgruntled Debian developers delay Etch”. eweek.com. 2011年2月12日閲覧。
  17. ^ Tay, Liz (2007年1月24日). “Dunc-Tank: Success or failure?”. computerworld.com. 2007年2月23日閲覧。


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