チェスタートン【Gilbert Keith Chesterton】
チェスタトン・G・K(Gilbert Keith Chesterton)
1874年(明7)、イギリスのロンドン生まれ。
1887年(明20)、セントポール学院に入学し、親友のベントリーと知り合う。
1891年(明24)、同人誌「論客」を主宰。
1900年(明33)、絵画の技量にもたけていたチェスタトンは処女出版「滑稽漫画短詩集」を出版し、1903年(明36)の評伝「ブラウニング伝」で文名をあげる。
1901年(明34)、エッセイ集「有象無象を 弁護する」のなかに「探偵小説の弁護」を収める。
1905年(明38)から「絵入りロンドン新聞」のコラム「僕らのノートブック」が、死の直前まで30年以上も毎週掲載される。
また、Bローンズの弟である評論家ヒレアベロックと交友を結び、バーナードショーから「チェスタブロック」を称された。
探偵小説としては、1905年(明38)の「奇商クラブ」をかわきりに発表。
1908年(明41)、「木曜の男」を発表。
1909年(明42)、英文学者の厨川白村が「現代英国文壇の奇才」のなかでチェスタトンをとりあげ、日本にはじめて紹介する。
1910年(明43)には「ブラウン神父」シリーズの第一作「青い十字架」を「ストーリーテラー」誌に掲載。
1911年(明44)、「ブラウン神父の童心」を刊行。
1917年(大6)、福原麟太郎が「青年雄弁」に「奇妙な足音」を「跫音」の題で訳し、日本に紹介する。
1921年(大10)、には「新青年」に浅野玄府が「青い十字架」を翻訳。のちに浅野玄府はチェスタトンの翻訳で有名になる。
1922年(大11)、ローマカトリックへ改宗。
1925年(大14)には自らの名前を冠した「GKウィークリー」を創刊。
1928年(昭3)、イギリス探偵作家クラブの初代会長に就任。
1929年(昭4)、「詩人と狂人たち」を発表。
ローマカトリック的宗教観の立場から、執筆活動は多岐に渡り、ジャーナリズムの巨人と称される。HRFキーディングからは「きらめく言葉を次々と噴火させた活火山のごとき存在」と称された。そのほか、ディケンズ、ショーなどを論じた文芸評論家としても業績は数多い。自分では詩作をもっとも高く評価していたが、現在ではブラウン神父シリーズをはじめとする探偵小説がもっとも広く知られている。逆説と機知に富み、トリックも豊富である。江戸川乱歩がポーと並んで最も高く評価した探偵作家のひとり。
1936年(昭11)、死去。
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