30形 (2代)・50形 (2代)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 00:54 UTC 版)
「高松琴平電気鉄道30形電車」の記事における「30形 (2代)・50形 (2代)」の解説
もと阪神電鉄881形で1941年・1942年川崎車輌製。1964年~1967年に入線。制御電動客車の27~39、および制御客車の50形55~57が在籍した。前面貫通扉のデザインから鉄道ファンの間では「喫茶店」の通称で親しまれた。 30形でありながら27から始まっているのは、40番台を忌み番として避けたためである。入線順に31から39まで達したあと、29、28、27と付番した。なお、初代20形は21~29が存在したため、27~29は2代目となる(2代目20形は21のみ、現存する3代目20形は24まで)。また、50形が55~57であるのは、当時50形 (初代)の除籍が完了していなかったためである。 琴電では直流600V区間用として登場した。当初、長尾線・志度線で使用されたが、1966年に志度線の架線電圧が1500Vに昇圧されたため、長尾線専用となった。これにより、木造車および簡易鋼体化車(木造車体の上に鋼板を張った車両、「ニセスチール車」)が1969年までに廃車され琴電から消滅した。 その後、長尾線も架線電圧が1500Vに昇圧されることになったが、本形式は戦時中の製造で車体の老朽化が進んでいたことや、新造以来の東芝製RPC-51自動加速制御器・自動ブレーキ・バンドン型密着連結器を使用しているためHL制御・SME(非常弁付直通ブレーキ)方式の他車と連結が不可能なこと、電気関係の配線の被覆が布製であり、老朽化が進んで1500Vへの昇圧に耐えられないこと、それに何よりRPC-51をはじめとする制御器の老朽化が著しく、しかもスペアパーツの入手が困難で最終期には半数に当たる8両が使用不能状態に陥っていたことを理由として、廃車されることとなった。廃車は状態不良で休車中の車両から1975年より開始され、一部は長尾線昇圧前日の1976年12月25日まで残存したが、翌1977年に全車除籍され、解体処分された。 なお、台車・主電動機などの下回りは車体よりも多くが導入された。また廃車後、後述の30形(3代)などに転用されたものもある。
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