2007年-2008年のフィールドワークの成果
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「ポル=バジン」の記事における「2007年-2008年のフィールドワークの成果」の解説
地球物理学者によると、この島は基本的に、永久凍土の岩栓が浅い湖から突き出たものである。この島は、上に城砦が建てられる数世紀前から湖の上に浮かんでいたようである。城壁に使われた粘土は、島の周囲の湖底から掬われたものかもしれない。また地形学的フィールドワークによって、二度の地震の痕跡が見つかった。最初のものは8世紀の城砦建築より前にあったようである。中世の後半に大規模な地震が起こり、それによって火災が起こり、加えて南と東の城壁および北西の角の稜堡が崩壊した。 外側の城壁は、木枠の中で土を層状に突き固める、中国式の「版築」という技法で造られており、元は11メートルの高さがあった。東壁北側の稜堡の一部を掘り崩したところ、木製の作業用足場の跡がカーテンウォールと稜堡の上部に通っていた。メインゲートには大きな木材で造られた3つの通路があったが、その殆どは焼け焦げている。メインゲートを入ると、小さなゲートでつながった2つの広場がある。外側の広場には何の構造物も無い。 内側の広場にはメインとなる建物群があり、それは2つの中心となる建物と、脇にある2つの細長い建物からなる。中心の建物は前後に連なっており、粘土層の真四角の土台の上に、煉瓦と石灰石の漆喰で建てられている。大きな方の建物の内部は、編み枝と漆喰で作った板で、2つの広間といくつかの小部屋に仕切られている。壁と板は石灰石の漆喰で覆われ、幾何学模様と赤い水平の縞模様が描かれている。異なった品質の漆喰層が2層あることは、修繕の跡を示している。瓦屋根は36本の木製の柱で支えられ、それは石の土台の上に乗っていた。この建物は、唐代の建築で特徴的な柱・梁構造だったようだ。それは焼けた木材の破片に「組物」と呼ばれる中国式の建築技法の跡が残っていたことからも分かる。 囲われた小さな広場の連なりは、北側・西側・南側のカーテンウォールの内側に沿っている。これらの広場は、仕切り壁の小さなゲートで各々接続されている。それぞれの広場には、1・2部屋からなる小さな建物があった。
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