地震の痕跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 10:10 UTC 版)
新潟市周辺では1950年代以降、都市化の進捗と生活様式の近代化などによって、地下水に含まれる水溶性天然ガスを採取するため地下水の揚水量が急増し、それによる地盤沈下が深刻化していた。1959年(昭和34年)以降、新潟県や各市町村が天然ガスや地下水の採取規制を実施したことで、大規模な地盤沈下は沈静化したが、それまでの間、新潟市をはじめとする各市町村では1年間平均で約20cmの地盤沈降が観測されていた。この地盤沈下も、新潟市中心部の液状化や津波による浸水などの被害を大きくした。 連続するアーチが特徴の萬代橋は、信濃川の新潟市中心部に架かる道路橋梁で唯一、この地震を耐え抜いたが、地震の痕跡が周辺に残っている。橋梁部の両端部、信濃川の堤防沿いに並行している市道(信濃川右岸通り、信濃川左岸通り)がある。両市道は上流側から下流側に向かって、いずれも一直線に橋の下をくぐるが、橋梁下の人道函渠(ボックスカルバート)の前後の線形は緩やかな鈎の手状のカーブを描いており、上流側と下流側とは約1mの高低差がある。萬代橋の橋梁本体は新潟地震では約10cm沈降したが、地震前には前述の地盤沈下などによって約1.2m沈降した。 また、昭和大橋は復旧工事の際に橋脚を再使用しているものがあり、その橋脚の一部が傾いたりしたまま使用されている。
※この「地震の痕跡」の解説は、「新潟地震」の解説の一部です。
「地震の痕跡」を含む「新潟地震」の記事については、「新潟地震」の概要を参照ください。
- 地震の痕跡のページへのリンク