1942年以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/28 14:37 UTC 版)
「ショー (DD-373)」の記事における「1942年以後」の解説
ショーは1942年2月9日に本格修理のためサンフランシスコに向けて出航した。サンフランシスコでは新たな竜骨が取り付けられて船体前半部が再構築され、作業は6月に完了した。サンディエゴ海域での訓練後、8月31日に真珠湾へ戻る。続く2か月に渡ってショーは西海岸とハワイ間の船団護衛任務に従事した。10月中旬に空母エンタープライズ (USS Enterprise, CV-6) を中心とした部隊の一部として真珠湾を出航し西へ向かう。部隊はホーネット (USS Hornet, CV-8) を中心とした部隊と合流し、両部隊は第61任務部隊と改称、サンタクルーズ諸島の北部へ向かい、ガダルカナル島へ向かう日本軍部隊を迎え撃った。 26日の午前中に二つの空母部隊は敵の攻撃を受けており、随伴艦のポーター (USS Porter, DD-356) は撃墜された雷撃機の生存者を救うために停止していた。ポーターは被雷し、ショーはポーターの援護に向かう。30分後にショーはポーターの生存者の救助と、ポーターの撃沈を命じられる。潜望鏡が目撃され、爆雷攻撃が行われたため命令の実行は遅れることとなった。正午までにポーターの生存者の移乗は完了し、一時間後にポーターは沈められた。ショーは現場を去り任務部隊へ再合流する。 2日後、ショーはニューヘブリディーズ諸島に向かい、ガダルカナル島への補給と兵員の移動を護衛した。その任務は11月から翌1943年1月まで続けられた。 艦首および船体前半部を再建し復帰したショー。1942年の撮影 アラメダ海軍航空隊基地の桟橋で38口径5インチ砲の発射訓練を行っているショー。1942年7月8日の撮影 1943年1月10日、ショーはニューカレドニアのヌメアに入港するための航海中、ヌメア湾沖のスルノワ岩礁 (フランス語: Rēcif le Sournois)礁で座礁した。15日に離礁したが船体、スクリューおよびギアへの損傷は大きく、ヌメアでの応急修理の後、真珠湾に移動して修理と武装の改修が行われ、作業は9月まで継続した。 10月6日にショーは再びニューカレドニアへと向かい、18日にヌメアに到着、24日にはニューギニアのミルン湾に入港した。第7揚陸部隊に所属したショーは10月から11月にかけてラエおよびフィンシュハーフェンへの増援軍を護衛した。12月15日のニューブリテン島に対する陸軍の攻撃では、ショーは2隻のゴムボートを救助し、ニューギニアに帰還するオーストラリア海軍のウェストラリア (HMAS Westralia, F95)およびアメリカ海軍の揚陸艦カーター・ホール (USS Carter Hall, LSD-3) を護衛した。 12月25日、ショーはグロスター岬への攻撃部隊に対して支援艦砲射撃および戦闘指揮を行う。26日、敵機2機による攻撃を受け36名の乗組員が負傷、3名がこのときの負傷が元で死亡した。ショーは27日にサデスト岬(Cape Sudest)()へ帰還し、負傷者および戦死者を下艦させ、応急修理のためミルン湾へ向かった。年が明け1944年初頭には本格修理のためニューギニアから本国へ帰還し、修理は1944年5月1日にサンフランシスコのハンターズ・ポイントで完了した。 1944年5月10日に真珠湾に帰還したショーは第5艦隊に加わり、同月15日にマーシャル諸島へ出航した。サイパン島への攻撃に参加するため、6月11日に第52任務部隊と共に出航する。攻撃は4日後に始まり、続く3週間半にわたってショーは護衛および支援射撃任務に従事した。7月中旬にマーシャル諸島に帰還し、18日にグアム急襲部隊と共にマリアナ諸島へ向けて出航した。続く戦闘では護衛任務と哨戒任務に従事した。 ショーは9月23日にマリアナ諸島を出航した。エニウェトクで母艦による修理を受けた後、10月20日に第7揚陸部隊に加わり25日にレイテ湾へ向かう。以後、1944年内はフィリピンとニューギニア間の船団護衛任務に従事した。 ショーは1945年1月9日にリンガエン湾でルソン島侵攻作戦に参加する。9日から15日まで護衛任務と火力支援、夜間照明および艦砲射撃を行う。続いてマニラ湾の奪還に加わり、ルソン島での作戦活動後、2月28日から3月4日までパラワン島攻撃および占領を支援した。4月前半はヴィサヤ諸島で活動し、4月2日にボホール島沖で2隻のはしけ船を破壊した。その後、暗礁に衝突し船体を破損したため、応急修理が行われた。25日にショーは本国での修理、および改修のために帰国し、5月19日にサンフランシスコに到着した。 修理および改修工事は8月半ばまで行われ、ショーはこの期間に終戦を迎えた。8月20日に作業は完了し、その後東海岸へ向けて出発した。フィラデルフィアに到着後、不活性化のためニューヨークに移動する。ショーは1945年10月2日に退役し、その2日後に除籍された。 ショーは第二次世界大戦の戦功で11個の従軍星章を受章した。 除籍後、船体は1946年7月にスクラップとして売却された。
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