1660年代
1660年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 20:09 UTC 版)
詳細は「1660年代」を参照 1660年ブレダ宣言からイングランドで王政復古がなされ、国王チャールズ2世が即位。チャールズ2世のもとイングランド王立協会(ロイヤル・ソサエティ)が設立される。 フランス王ルイ14世とスペイン王女マリー・テレーズの結婚。 1661年清の康熙帝が第4代皇帝に即位。遷界令を出す。 ビルマに逃れた南明の永暦帝が捕縛され処刑される。 隠元隆琦が宇治の黄檗山萬福寺を開山。 イエズス会士ヨハン・グリューバーらが北京からヨーロッパ人として初めてチベットの都ラサに到達。 フランス宰相マザラン死去、国王ルイ14世の親政始まる。大蔵卿ニコラ・フーケが失脚する。 王立舞踏アカデミー(英語版)が設置される(パリ・オペラ座バレエ団の始まり)。 1662年幕府の命により林鵞峰らによる『本朝通鑑』の編纂が始まる。 ゼーランディア城包囲戦に勝利した鄭成功がオランダ人を駆逐し台湾を占領。 イングランド王チャールズ2世とポルトガル王女キャサリンの結婚。この結婚でインドのボンベイ・北アフリカのタンジールがイングランド領になる。 1663年後西天皇が譲位し、第112代霊元天皇が即位。 武家諸法度改正(寛文令)により、キリスト教禁教が明文化される。 レーゲンスブルクが神聖ローマ帝国の「永続的帝国議会」開催地となる( - 1806年)。 1664年コルベールによりフランス東インド会社が再建される。 楊光先の批判によりイエズス会士アダム・シャールが投獄される(康熙の暦獄)。 1665年第二次英蘭戦争( - 1667年)。 ポルトガルがコンゴ王国に侵攻しアンブイラの戦いで勝利。 アイザック・ニュートンが万有引力を発見(古典力学の創始)。 諸宗寺院法度と諸社禰宜神主法度が出される。水戸藩主徳川光圀が明の遺臣朱舜水を招聘する。 1666年イングランドでロンドン大火・ペスト流行・ノースフォアランド沖の海戦(第二次英蘭戦争)。この年は事件が続発したのでイングランドでは「驚異の年(アヌス・ミラビリス)」と呼ばれる。 フランスで地中海と大西洋をつなぐミディ運河が着工される。 マラータの指導者でプランダル城主シヴァージーがアーグラにてムガル皇帝アウラングゼーブと会見するが決裂に至る。 オスマン帝国内のユダヤ教救世主を名乗っていたシャブタイ・ツヴィがイスラム教に改宗する。 儒学者であり軍学者である山鹿素行が播磨国赤穂藩へ流罪となる。 1667年ネーデルラント継承戦争( - 1668年)。 オランダがゴワ王国に勝利し、スラウェシ島のマカッサルを征服。 ブレダの和約でオランダからイングランドは北米のニューネーデルラントを獲得。 ジョン・ミルトンの『失楽園』が刊行される。 アンドルソヴォ条約で、ウクライナのコサック国家はドニエプル川を軸に分割され、ロシアはキエフと左岸ウクライナを獲得。 1668年世界最古の中央銀行であるスウェーデン国立銀行が設立される。 ソロヴェツキー修道院における反乱( - 1676年)。 1669年シャクシャインの戦い。 清でオボイが失脚し、康熙帝の親政が始まる。 スチェパン・ラージン(ステンカ・ラージン)率いるコサック軍がカスピ海沿岸のサファヴィー朝支配地を略奪。
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