1100形(1101~1108)
京王帝都電鉄(現・京王電鉄)5000系を種車に、平成9年6月から11月にかけて4編成8両が投入されました。 京王5000系は昭和38年から44年にかけて製造され、前面にパノラミックウインドウを採用するなど、当時としては画期的なデザインで昭和40年代の京王線の主力となった。車両の世代交代により、平成8年12月1日をもって京王線から引退した。一部の車両は富士急行・一畑電気鉄道・伊予鉄道で第2の人生を送っています。 ことでん入線に対して、第1・第2編成は先頭車からの改造で4両とも電動車化改造を行い、さらに奇数車(1105号・1107号)はパンタグラフの取り付けが行われました。台車は京王線が1,372m、ことでんが1,435mと異なるため京浜急行電鉄1000形の台車に履き替えました。 |
1100形
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開業時に2両 (1112, 1113) が国鉄から払い下げられた。
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1100形
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「東京都交通局1000形電車」の記事における「1100形」の解説
1000形のうち旧1086~1130の残存車23両と戦災復旧車5両の計28両を、1000形との形状の相違から改番したもの。残存車が1101~1123、戦災復旧車が1124~1128となっている。 元が1000形の一部を改番したものなので運用面や修繕も1000形と同様の進捗であった。また、1106が1954年に7000形7022(初代)に更新され、1104が1956年に車体延長で1300形1302となっている点も1000形同様である。目黒、神明町の両車庫に所属し、1000形と一緒に運用されていた。 形式消滅も1000形同様、1967年の第一次都電撤去時であった。
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1100形
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「東京地下鉄道1000形電車」の記事における「1100形」の解説
東京地下鉄道が1931年から1932年にかけて万世橋(現: 廃止) - 京橋間を延伸した際に1000形の増備車として9両(車両番号:1122 - 1130)が製造された。すべて汽車製造東京支店製である。機器もGE社系のものを踏襲採用している。1000形との相違点は台車が鋳鋼製部品を組み合わせた軸ばね台車である汽車製造HA-18に変更されたことと、溶接組立の導入によるリベットの数の減少程度である。 1000形と同様の経緯で営団地下鉄に引き継がれた。 1968年7月までに全車廃車された。その後、1122号は教材用として長らく丸ノ内線中野工場に上屋を作って保管されていたが、1985年(昭和60年)に解体された。
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