高級住宅化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 11:03 UTC 版)
「ジョージタウン (ワシントンD.C.)」の記事における「高級住宅化」の解説
当初は、新しく形成されたコロンビア特別区内の唯一の都市として、ファッションや文化の中心的役割を担った。しかしワシントン市の発展につれ、社会の中心はロック・クリークを越えて東へ移っていく。市内の環状交差路周辺に新ヴィクトリア朝様式の住居が現れ、好況の時代を代表するような高級住宅群がマサチューセッツ・アヴェニュー沿いに増え始めても、多くの「古き名門」は古き良きジョージタウンにしがみついた。20世紀初頭を迎えた都心部は、周辺地区の住民から見ると、すでに盛りを過ぎていたのである。 周辺地域の高級住宅化が進み始めた1930年代、第32代大統領フランクリン・ルーズベルト政権下の政府要人が数名、移り住む。近隣住民こそ、過去の栄光を取り戻し始め、やがて第二次世界大戦が終わると、1950年代に新市民流入の波が訪れ、ほぼ同時期にジョージタウン市民組合が結成された。こうした新市民にはエリートの肩書きを持つ教養人が多く、近所の古くからの住民に歴史的に重要な生活や姿に強い関心を示したのである。ジョン・F・ケネディ大統領(第35代)もやはり元住民であり、大統領選出の際には地域一帯の上流社会層は有頂天になる。1950年代の国会議員(上院議員)時代のケネディはジョージタウンで暮らし、妻のジャクリーン・ケネディ・オナシスが社交パーティーを主催していた。市内に住み主催者として名前を知られた人々は、中心部のクラブやホテルを利用してパーティーを開き、あるいはまた北の16番ストリートから離れた場所に政界のエリートをおしのびで招くなどしていた。ケネディといえば、1961年1月に行った大統領就任式の会場に私邸を使っている(Nストリート3307 番のタウンハウス)。以来、ジョージタウンは合衆国の首都圏という中心地で、富と品格のリーダーという地位を確立したのである。
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