陰謀論について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 00:59 UTC 版)
事件当時から情報が錯綜したため、被害者や犯人の数について様々な憶測が流れた。1909年10月27日付の各新聞の中にも、三井物産会社着電をもとに「五六名の韓国人に狙撃され」たと報じたものや、大連発本社着電をもとにした東京日日新聞の「歓迎者に混じ居たる韓人数名に狙撃され」たと報じたものがあり、逮捕者も蔡家溝で新たに「拳銃を持てる朝鮮人2名を捕縛」と報じられていたため、これらを原因として複数犯の印象が最初に広がったことは事実であろう。しばらくした後に目撃者談をまとめた新聞報道 と安の供述、そして秘書官等の電報 とは、総合して見ればほぼ符合していることがわかるが、襲撃では何発が発砲されたか、狙撃手は1人か複数かには異説があり、単独犯行ではなかったという主張や、背後に国家的陰謀があったという主張がある。 複数犯説 室田義文の逝去ほどなく公刊された『室田義文翁譚』 には、伊藤の肉身に埋まっていた弾丸が安重根のブローニング7連発拳銃用のものではなく、階上から撃たれたフランス製のカービン銃の弾で、駅の二階の食堂から発砲されたと書かれていて、彼は狙撃手は少なくとも2名であったと主張していた。室田は「犯人は安重根ではない」との主張を当時から持っていたと言うが、外交上由々しき問題となるので否定されたのであると、説明している。ロシアは暗殺に関与したと疑われることを恐れ、日本も日露関係の悪化を恐れて、警備の責任を問うたり深く追求したりしなかった。室田によれば、彼は真相究明を求めて後に抗議したと言うが、真犯人探しが外交問題に発展するということで山本権兵衛が反対 して、日本の官憲によって抗議の声は封殺されたのだという。 いくつかあるこのような説においては、安重根は事件の真相を闇に葬るための人身御供に意図的あるいは結果的になったのだとされ、後世様々な黒幕が議論されたが、名前が挙がったのは明石元二郎、杉山茂丸、後藤新平などである。 鉄砲玉(首謀者は別人説) キリスト教系の秘密結社とアメリカの陰謀という説が、事件2日後の東京日日新聞に載った。背景としては米清同盟の推進などが挙げられている。 ロシア国籍の朝鮮人の崔才亨(新聞では「崔歳享」)が暗殺を命じたという説も当時の新聞で報道された。 当時、外務書記官として満州にいた本多熊太郎は、在ハルビン朝鮮人を牛耳るロシア国籍の金某が安重根に手引きしてやらせたものであると断言し、事件後、この機会にハルビンやハイラル等にあった朝鮮独立運動の拠点を根絶やしにするとして、外務省が協議して、金某を含めロシア国籍の不逞朝鮮人2、3名はロシア政府がシベリア奥地に移住させ、それ以外の不逞鮮人20名余りは東清鉄道に監獄列車を借りて朝鮮に送り返したと書いている。
※この「陰謀論について」の解説は、「安重根」の解説の一部です。
「陰謀論について」を含む「安重根」の記事については、「安重根」の概要を参照ください。
- 陰謀論についてのページへのリンク