開発独裁の終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 13:42 UTC 版)
開発独裁政権が経済運営に成功し(その指標として「年何%の経済成長率」がさかんに喧伝された)、その成果を国民に分配すると、国民の支持を調達して政治的正当性を高めることができる。開発独裁はそのようにして政権の維持を図ってきた。 台湾や韓国では、経済成長の結果、民主化運動(美麗島事件・民主化宣言)が高揚した。その後、また、政権に関わる人物やその一族による不正蓄財、同族経営、汚職、また、取り巻きや財界人・政商との癒着、収賄、賄賂が多発し、開発の恩恵が一部の人々によって独占されていることが明らかになると、開発独裁政権は急速にその正当性を失い、国内の民主化運動から重大な挑戦を受けるようになった。1986年のフィリピンにおけるマルコス政権のエドゥサ革命による崩壊は、その一例である。 国際的な要因としても、1989年に起きた東欧革命によって、東西冷戦が終結したことで、西側諸国(特にアメリカ合衆国)は、アジアにおける反共政権の擁護に関心を失い、むしろその人権状況に厳しい認識を示すようになった。開発独裁政権にとって重要な後ろ盾だったはずの西側諸国の立場は変化したのである。 また、アジア通貨危機後の経済危機によって大衆の生活が危機的状況にさらされたインドネシアでも、スハルト政権下での汚職・癒着・縁故主義を糾弾する大衆の街頭行動が引き金となって、1998年、30年以上にわたって長期政権を維持してきたスハルトは辞職した。 台湾や韓国のように開発独裁の結果として一定の経済発展をなしとげた国では民主化運動の流れの中で政権が交代し、開発独裁が終焉したケースが多いが、台湾や韓国と並ぶアジア四小龍とされていた香港やシンガポールは先進的な地域であるにも関わらず、民主化への逆行(香港の政治)や人民行動党による事実上の一党独裁制(ヘゲモニー政党制)が継続している。また、市場経済を導入して大国になった中国も、中国共産党による一党独裁体制を強化している。
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