美麗島事件
美麗島事件(1979年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/09 03:07 UTC 版)
「高雄の歴史」の記事における「美麗島事件(1979年)」の解説
詳細は「美麗島事件」を参照 1979年11月30日、「台湾人権委員会」は世界人権デーのデモを行うべく高雄市第一分局にデモ申請を行い、12月10日午後にデモを計画したが、高雄市警察許可が得られなかった。党外活動家は当初の計画に基づきデモを強行することを決定、しかし12月9日に国民党政府は演習を名目に翌10日のでも活動を禁止した。当時『美麗島』雑誌社高雄服務処が「人権座談会」を開催すべく街宣車を利用した広報活動を行っていたが、街宣車は鼓山区にて警察によりとめられ小競り合いに発生、ボランティアの邱勝雄、姚国が逮捕されるに至った。これに対し雑誌社社員及び支持者が鼓山警局に集結、警察と民衆の間での小規模な衝突が発生した。邱勝雄と姚国は10日に釈放されたが、この事件を鼓山事件と称す。 鼓山事件に刺激され、世界人権デーのデモに本来積極的に参加する意思のなかった党外活動家が次々に高雄に集結した。12月10日午後6時、デモ隊は出発地点の扶輪公園を目指して移動したが、政府当局により封鎖されていたため、急遽集合地点を中正路新興分局前の大円環に変更しデモが行われた。 デモ隊が円環に集合した後、まず黄信介が談話を発表したがデモ隊は警察に包囲されてしまう。これに対し総指揮の施明徳と姚嘉文が警察との交渉を開始、警察側に元来の集合地点である扶輪公園を夜11時までの使用許可を求め、警察部隊も現場での治安維持に当たる条件を提示したが、この要求は警察側により拒否されている。午後8時半、警察部隊は集会海上に催涙弾を発射、現場に警民の衝突が発生し、午後10時に警察の応援部隊が到着するとその衝突は更に大きいものとなった。 12月13日より台湾当局は党外活動家の逮捕を開始する。1980年2月20日、反乱罪の罪状で黄信介、施明徳、張俊宏、姚嘉文、林義雄、陳菊、呂秀蓮、林弘宣などが特別法廷に起訴され、その他30数名が一般法廷で追訴された。張徳銘、陳継盛などの協力により弁護活動が開始され、最終的には15名の弁護団が結成、各被告に2名の弁護士をつけての法廷闘争が開始された。結果は特別法廷の8名は全員有罪となり、施明徳が無期懲役、黄信介が懲役14年、その他6人が懲役12年となった。
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