政商
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政商(せいしょう)とは、政府つまり政治家(政治)や官僚(行政)とのコネや癒着(官民癒着)により、優位に事業を進めた事業家、あるいは企業グループのこと。江戸時代には、御用商人(ごようしょうにん)と呼ばれた。戦前日本の財閥はその代表例である。
注釈
出典
- ^ a b c d 宮本又郎『企業家たちの挑戦』中央公論新社〈日本の近代〉第11巻1999年、ISBN 4-12-490111-9 pp.137-144.
- ^ “萩原吉太郎氏(北炭元会長、札幌テレビ時放送前取締役相談役)死去=北海道”. 読売新聞. (2001年8月9日)
- ^ “小佐野 賢治氏(国際興業者主)死去 ロ事件、国際興業コンツェルン”. 読売新聞. (1986年10月27日)
- ^ “小針 暦二氏(福島交通会長)死去 「東北の政商」と言われたグループ総帥”. 読売新聞. (1993年11月8日)
- ^ 報酬54億円 “政商”オリックス宮内元会長がやってきたこと
- ^ “牧太郎の青い空白い雲:/822 「五輪廃止!」と言ったら“政商主義者・竹中平蔵”に叱られる?”. 毎日新聞. 2021年7月7日閲覧。
政商
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山下は、同じ愛媛県出身の海軍軍人・秋山真之とも親しい間柄であった。喜佐方丸購入直前、山下は秋山から、「日露開戦近し」の情報を入手していた。戦争になると民間船舶も徴用される。また徴用船の傭船価格は一般の価格よりも有利であることは、日清戦争時の経験から知っていた。この秋山からの情報により山下は成功を駆け上がることになる。 山下は喜佐方丸を購入すると早速、近親の古谷久綱(元伊藤博文首相秘書官)を通じて、1903年(明治36年)12月、徴用船の指定を受ける。しかし、この時の喜佐方丸は、三井物産依頼の積荷の石炭を載せて、上海に出航する直前に長崎県佐々港にいた。上海を往復している間に徴用船指定を解除されたら大変だと、三井の大阪支店長・福井菊三郎に事情を話して了解を求めておき、横浜に帰って石炭を陸揚げして処置をつけ、喜佐方丸は海軍に引き渡した。こうして、無事、喜佐方丸は納期までに海軍に届けられた。これに勢いを得て、1904年(明治37年)第二喜佐方丸を購入、直ちに海軍に徴用船として提供する。さらに他社の貨物を手配し、他社船でこれを運送する海運オペレーションの分野にも進出する。
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