政商として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:57 UTC 版)
先収会社は井上の政治力を生かして多大な利益を得ているが、その端的な例には大阪支店の山口県産米の売買がある。 井上の指示によって、山口県権令(事実上の県知事)に井上と親しい関係である中野梧一をあてるが、山口県と先収会社大阪支店頭取の吉富の交渉で、先収会社への山口県産米の払い下げが決まる。明治6年度の山口県の地租改正では農民は現金ではなく現米で税の納入という事になったが、この際1石あたり3円という米価が農民に押し付けられた。これは相場の半値程度であった。つまり農民は甚だしく不当な安値で作った米を評価されたのである。 山口県は農民から不当に安く納入させた地租米を、相場よりもはるかに安い値段で士族禄米として旧武士階級へ支給し、残りの米を地元と大阪で売ったが、大阪で売った分は先収会社が独占して取り扱った。岡田組から先収会社へ引継ぎが行われている明治7年初頭では、米の相場は1石あたり6円程度のところ、先収会社には山口県から1石あたり4円20銭で5万石の米が払い下げられた。同じように明治7年産米も明治8年産米も相場よりも安い価格で、山口県(実際は県が設立した防長共同会社)の県外売却分は先収会社に独占的に扱わせた。山口県では米ばかりではなく、紙・蝋・茶などの山口県産品の扱いも先収会社に委託されている。 米を不当に安く買い叩かれた農民達は当然強く反発し、反対闘争を繰り広げ、明治9年8月には地租を強制的に米で納めさせる制度は廃止されたが、その時点では先収会社はすでに解散している。ただし、農民達の闘争はそれで終わることは無く、大津郡出身の山口県議町野周吉を代表とする農民グループは井上らを追及し続ける。先収会社会社解散後に帰郷して山口県政を牛耳った吉冨はこれらを弾圧するが、農民たちの怒りは収まらず、井上は明治27年(1894年)に農民達から訴えられ、疑獄事件として国会でも取り上げられている。 明治8年9月の江華島事件では、事件勃発までは米の投機相場において先収会社は「売り」に回っていたところ江華島事件が起こり、出兵となりそうな情勢を政府ルートでいち早く知った井上は先収会社に「買い」に回るよう電報を打っている。その後の政策に井上自ら関与しながら、情勢を見てひそかに先収会社に「売り」の指示をだすなど、今で言うインサイダー取引を行って利益をあげている。
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