三菱商会とは? わかりやすく解説

三菱商会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 00:05 UTC 版)

荘田平五郎」の記事における「三菱商会」の解説

明治8年1875年2月に三菱商会に入社東京本店勤務を命ぜられた三菱での荘田最初の仕事は「三菱汽船会社規則」の策定だった。明治8年5月発表された。さらに2年後経理規程ともいうべき「郵便汽船三菱会社簿記法」を纏(まと)めた。これにより三菱は、大福帳経営脱し日本初め複式簿記採用し徐々に近代的な経営組織確立する初期三菱経営戦略担った荘田は、東京海上保険会社現在の東京海上日動火災保険)、明治生命現在の明治安田生命保険会社設立関わり第百十九国立銀行傘下入れ東京倉庫会社設立するなど、さまざまな分野への進出図った明治18年日本郵船設立に際して三菱代表として創立委員になり理事就任した明治19年1886年)に三菱海運以外の事業目的として「三菱社」の名で再発足するときに本社支配人として復帰、のち管事となり新生三菱指揮した1888明治21)年に発売となったキリンビール「麒麟」名付け親でもある。当時輸入されていた西洋ビール等の動物用いられていた為、東洋らしさを出す為空想上動物「麒麟」商標にしようと荘田提案したのである明治22年1889年)、荘田英国造船業界などの実情視察のために外遊した際に、ロンドンホテル部屋開いた新聞コラムに「日本政府陸軍近代的兵舎建設のために丸の内練兵場売りに出すも買い手つかず」とあるのを発見した時に日本にもロンドンのようなオフィス街建設すべきだ。皇居目の前丸の内こそその場所だ。」と感じ岩崎弥之助に「丸の内、買い取らるべし」と打電岩崎弥之助松方正義蔵相合意した買取額は128万円当時東京市の年度予算の3倍。荘田丸の内産みの親である。 また、荘田長崎造船所大改革行なった長崎造船所明治20年1887年)に国から払い下げられた。明治28年1895年)に日本郵船欧州航路開設決定したが、社外取締役荘田主張新造船6隻のうち1隻は長崎造船所発注された。常陸丸(ひたちまる)6172トンそれまで最大建造実績須磨丸の1592トンだから技術的に大変な飛躍である。明治30年1897年)に造船奨励法公布され修繕船から脱皮し新造船を事業中核にするのだという明確な意識持った岩崎久弥は、本社の管事として全事業指揮する立場にあった荘田をあえて長崎造船所長に任命した荘田勇躍長崎に赴き、積極的な設備拡充図り貨客船軍艦などその後日本大型船建造の道を開拓した荘田近代化ハード面だけではなかった。「傭使人扶助法(ようしにんふじょほう)」「職工救護法」など労務管理制度確立所内には工業予備校設立し自前職工養成を図るようにした。また、造船における厳し原価計算概念導入した。今では当たり前のことだが、当時日本企業には製造原価など工業簿記概念はなかった。 荘田明治39年1906年)まで長崎造船所所長務め、また永らく事として弥太郎弥之助、久弥の三代支え明治43年1910年)に引退し豪傑肌の人物が多い明治三菱経営者たちの中にあって、唯一の英国風ジェントルマンであり、生涯通して組織三菱といわれるような近代的な組織づくりに貢献したその後荘田明治生命保険会社取締役会長になった時期もあったが、晩年受刑者社会復帰事業協力した聖書勉強をしたり、後進の指導と共に静かな余生を送る。

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三菱商会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 09:54 UTC 版)

岩崎弥太郎」の記事における「三菱商会」の解説

明治5年九十九商会三川(みつかわ)商会となったが、代表は川田小一郎石川七財中川亀之助で弥太郎権限曖昧不分明である。 明治6年1873年)、三菱商会へ社名変更し、明治7年本店東京日本橋南茅場町移し三菱蒸汽船会社社名変更した。この時、土佐藩主山内家三つ柏紋元にして(後に岩崎家三階菱紋の家紋の意味合い持たせる)現在、広く知られる三菱マークスリーダイヤ」を作った土佐山内家が用いていた「土佐柏岩崎家用いていた「重ね三階菱」 また岡山県吉岡銅山入手した(現在の三菱マテリアル)。 弥太郎巨利を得るのは、維新政府樹立され紙幣貨幣全国統一化に乗り出した時のことで、各藩発行していた藩札新政府買い上げることを事前に察知した弥太郎は、10万両の資金都合して藩札大量に買占め、それを新政府に買い取らせて莫大な利益を得る。この情報流したのは新政府高官となっていた後藤象二郎であり、今でいうインサイダー取引であった弥太郎最初から政商として暗躍した

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三菱商会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 06:27 UTC 版)

三菱財閥」の記事における「三菱商会」の解説

1874年、三菱商会は本社大阪から東京移し郵便汽船三菱会社改名重ねる。同年勃発した台湾出兵では派遣船の運行会社として指名されたことで政府からの信頼得た主力事業である海運業においては外国勢力中小船会社徹底的に駆逐し独占的な地位得た。しかし三菱独占専横快く思わない渋沢栄一井上馨品川弥二郎らが三菱対抗できる海運会社設立画策政府出資も得、三井などの反三菱勢力結集して1882年7月共同運輸会社設立、翌1883年営業開始した三菱いつも通り値下げ攻勢共同運輸も潰そうとしたが、政府後援のある共同運輸更なる値下げ対抗。続く2年間はダンピング競争海上運賃大幅に安くなったが両社は完全に消耗し守勢回った三菱路線人員削減倒産寸前となったさすがに過当競争を見かねた政府が間に入り1885年共同運輸との対等合併日本郵船会社設立された。三菱中心事業である海運業一時的に失った数年後には人的に経営実権握ることとなった1885年弥太郎死去後、その弟・弥之助が後を継いだ岩崎弥之助三菱社改名し1881年買収した高島炭鉱1884年借り受けた官営長崎造船所(後の三菱重工業)を中核として、事業再興図った炭鉱鉱山事業拡充1887年長崎造船所払い下げその後積極的な造船業拡充1885年第百十九国立銀行買収による銀行業務への本格展開をし、1887年東京倉庫(後の三菱倉庫)を設立した1893年商法施行され三菱社三菱合資会社へと改組同時に弥太郎長男・久弥が三菱合資三代目社長に就任総務銀行営業炭坑鉱山地所各部設置して分権体制敷き長崎造船所拡張神戸下関造船所新設麒麟麦酒設立など、事業がいっそう拡大された。 1916年大正5年)に弥之助長男・小弥太四代目社長に就任部長制を廃止し分野別担当事務理事置いた1917年三菱造船三菱製紙1918年三菱商事三菱鉱業1919年三菱銀行1920年三菱内燃機製造1921年三菱電機次々分割化していった。そして、満州事変から第二次世界大戦にかけて軍需膨張拡大背景三菱事業飛躍的に拡大した。 スリーダイヤマークの「三菱」の呼び名だが、これは土佐藩主山内家家紋の「三つ柏」と岩崎家家紋三階菱」を組み合わせたものであった戦前の8大財閥三菱財閥三井財閥住友財閥安田財閥浅野財閥大倉財閥古河財閥川崎財閥)の中では唯一創業者の姓を冠さないものとなったが、これは新政権明治政府奉公するという岩崎気持ち表したのだったといわれる

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三菱商会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 02:17 UTC 版)

青天を衝け」の記事における「三菱商会」の解説

岩崎弥太郎いわさき やたろう) 演:中村芝翫 三菱商会会頭台湾出兵西南戦争の際、政府軍軍事輸送請け負い莫大な利益を得ると同時に政府との結びつき強化大隈重信優遇を受け、日本海運業独占する栄一東京商法会議所設立すると、運輸業筆頭として名を挙げられる会合への参加には乗り気でなかったものの、周囲高く評価する栄一興味持ち、彼を宴席に誘う。栄一とは、若き日武士の世の理不尽に怒り覚え故郷を後にしたという共通点や、商業の力で日本一等国にするという理想同じくすることから意気投合。しかし栄一唱える合本主義には懐疑的であり、「経済には勝つ者と負ける者がいる」「事業一人経済才覚ある人物が己の力だけで動かしていくのが最善」と語り自身手を組むことを提案するが、栄一からは根本的に考えが違うと判断され決裂する三菱海運独占対抗すべく栄一らが東京風帆船会社発足すると、社員らを使って栄一のあらぬ風聞流し事業頓挫追い込む明治十四年の政変大隈追放された後、政府支援受けた栄一らが新たに共同運輸会社設立すると、両社採算度外視した熾烈な値下げ合戦展開するが、その最中に病に倒れる。病床弥之助に後を託し日本繁栄願いながら死去岩崎弥之助いわさき やのすけ) 演:忍成修吾 弥太郎の弟。 弥太郎死後、三菱商会を引き継ぐ苦渋の決断の末、共同運輸との合併了承し2年半に及ぶ激し競争収束させる

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