鍼灸師から角界入りとは? わかりやすく解説

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鍼灸師から角界入り

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 07:51 UTC 版)

名寄岩静男」の記事における「鍼灸師から角界入り」の解説

1914年9月27日北海道高島郡高島村家伝の灸と鍼を用いた治療業を営む家に生まれる(母は鍼灸師免許持っていなかったため正式な開業はできなかったとも伝わる)。生後10ヵ月くらいの時に岩壁家は名寄町移住し、もう1つ家業である小さな養豚業営んでいた。 6人兄弟長男である静雄少年は馬にリアカー引かせ町内旅館などから豚の餌となるの皮や残飯貰い受けていた。幼少期から体格良く、街で彼の姿を見かけ人々は、「静夫少年が馬より大きく見え、馬を引いてたように見えた」と語る。 名寄中等夜学校時代は昼の重労働疲れから授業中居眠りすることも多く数学や英語を苦手とした。それでも体育別人のように積極的に参加し、特に柔道始業時間前に登校して練習するほど好きであった両親と同じ鍼灸師目指すべく、1931年春に上京して東京・両国東京鍼灸医学校進学し1932年鍼灸師免許取得して帰郷しようとしていたところ、体格良い岩壁見つけた立浪から強引にスカウトされた。最初はせっかく鍼灸師免許取得して一家正式な鍼灸院にすることができるところであったため断り名寄帰郷することだけを考えたそもそも相撲対す知識皆無であり、両国相撲の町であることも、立浪部屋存在知らなかった。それでも弟子勧誘対す執念定評があった立浪岩壁父親向けて手紙書いて送ったところ、許可されたことで立浪部屋入門した岩壁勧誘したのは光石之助という立浪部屋出身の元幕内力士であり、彼は当時既に廃業して両国界隈商売を行う油屋転身していたが、「立浪部屋マネージャーと言うべきポジションでもあった。入門に際して父からは「一人前相撲取りになるまで帰ってくるな」と送り出された。 1932年5月場所において初土俵を踏むと、部屋1年後輩で、各段優勝果たしスピード出世追いかけてくる羽黒山ライバル視していた。新入幕1937年1月場所)までは全て名寄岩先を越していたが、大関昇進争いでついに羽黒山先を越された。逆に言えば何人も部屋角界先輩ごぼう抜きにしてきた羽黒山には、三役昇進まで先を譲らなかったことになる。大横綱双葉山よりも5年初土俵遅く各段優勝して破竹の勢い番付駆け上がった羽黒山よりも1年早いという微妙な立場名寄岩稽古の虫仕立て上げることになった1938年1月場所は2日目男女ノ川一蹴されたが、7日目には武蔵山を得意の左四つから、右上手を引いて軽々吊り上げ運び出した。右肘を怪我して以降二枚腰評される強靭な足腰誇っていた武蔵山吊り出されたのは現役中この1番のみである。1938年9月大阪本場所では11勝2敗で優勝玉錦同点成績挙げ表彰された。 1939年1月場所7日目、この場所4日目双葉山連勝69止めた安藝ノ海に対していつも以上に闘志剥き出しにして勝ち、仇を取っている。

※この「鍼灸師から角界入り」の解説は、「名寄岩静男」の解説の一部です。
「鍼灸師から角界入り」を含む「名寄岩静男」の記事については、「名寄岩静男」の概要を参照ください。

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