銅人形とは? わかりやすく解説

銅人形

主名称: 銅人形
指定番号 134
枝番 0
指定年月日 2005.06.09(平成17.06.09)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 歴史資料
ト書 足裏に「考 飯村玄斎 秋田胡庵 工 岩田伝兵衛 鋳 又三郎 寛文三年壬寅十二月吉旦成」の銘がある
員数 1?
時代区分 江戸
年代
検索年代
解説文: 銅人形は鍼や灸を施すツボ経穴けいけつ】)と気血流れる脈(経絡けいらく】)とを表現した人体模型である。鍼灸治療中国由来し、その研究・教育用いる銅人形は、永和四年(一三七八)に竹田昌慶(一三三八~八〇)によって明かわが国もたらされたという。鍼灸治療定着して江戸時代には広く用いられる治療行為となり、日本においても銅人形が作製されるようになった
 写真の銅人形は、足裏記され銘文によって作製時期作製関わった人物とが判明する作製時期寛文三年一六六三)ないし壬寅年(寛文二年〈一六六二〉)であり、考証あたった飯村玄斎(?~一六九九)は、「飯村家系譜」(和歌山県立文書館所蔵)により和歌山藩であったことがわかる。系譜には「南龍院様御代」に「御好之【おこのみの】胴人形被仰付おおせつけられ】、経絡兪穴【ゆけつ】之儀委細吟味仕【つかまつり】、仕立上申候」とあり、玄斎が紀州徳川家初代頼宣【よりのぶ】のとき、銅人形を作製したことを示している。作製に関わった他の三名秋田胡庵、岩田伝兵衛又三郎)については残念ながら詳細明らかでない
 この銅人形は体表面を網目状鋳造するという独特のもので、体内には木製で著色を施した五臓六腑骨格模型とを納めている。網目の穴の隙間から、内臓骨格透けて見えツボ経絡内臓骨格との関係が視覚的にわかるような仕組みである。さらに胸部から腹部背部後頭部から後頸部の三か所には状の窓が開けられ体内観察できる骨格模型一部不正確な形状部分があるものの、真骨をよく模して作製されており、このような骨格模型備えていること自体注目される
 当時医学知識結集して作製されたと考えられるこの銅人形は、当時医学知識水準を示すとともに鍼灸医療を含めた漢方医学受容と展開を象徴する資料といえる
 なお、寛政九年(一七九七)に幕府奥医師山崎観覧する際に修理施されたことが附【つけたり】とした木箱覚書によって明らかであり、伊予西條最後藩主となった松平頼英【よりひで】から明治十年一八七七)に内務省博物局(東京国立博物館前身)に寄贈されている。



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