赤軍派出身メンバー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 18:11 UTC 版)
「山岳ベース事件」の記事における「赤軍派出身メンバー」の解説
森恒夫(27) - 赤軍派の獄外最高指導者。赤軍派結成当初の1969年7月6日の第二次ブント内の内ゲバ事件である明大和泉校舎での関東派襲撃事件で敵前逃亡し、赤軍派から一時期姿を消していた過去を持つ。その後、大菩薩峠事件の大量逮捕で赤軍派が壊滅状態になったことなどにより復党が認められ、赤軍派幹部の逮捕・海外亡命で組織が弱体化する過程で獄外赤軍派の実質リーダーとなった。革命左派との合同を経て連合赤軍を結成すると最高指導者となる。合同軍事訓練時の革命左派メンバーによるD批判を経て、自己批判・相互批判による「革命戦士の共産主義化」を追求するようになり、各メンバーの摘発・総括要求を主導した。 坂東國男(25) - 連合赤軍結成前の赤軍派では坂東隊のリーダーとして植垣康博らとともにM作戦(金融機関強盗)を実施。本事件においては森の指示に忠実に従い暴行に積極的に加担した。連合赤軍指導部メンバー。あさま山荘事件の主犯の1人。 A(27) - 元赤軍派政治局員。赤軍派でのかつての立場は森よりも上だった。逮捕を経て1年間の活動休止後、事件直前から赤軍派に復帰。本事件においては指導部メンバーの一人として森の理論的右腕として事件に加担していたが、後に総括要求を受け、死亡。 植垣康博(23) - 赤軍派時代は坂東隊メンバーとして金融機関強盗に関与。本事件においても暴行に積極的に関与。合同軍事訓練後に革命左派のGと恋仲になり総括要求を受けるが暴行を受けるには至らなかった。 a(22) - 合同軍事訓練直前に合法部から非合法部に移り、本事件に関与。合法部時代は森の秘書的役割を担っていた。 B(21) - 坂東隊メンバーとして金融機関強盗に関与。坂東隊に合同させた恋人が問題を起こしていたため、一時は赤軍派内でB共々処刑を検討されていた。合流前の赤軍派においては森の批判に反論することもあった。革命左派のD批判を受けてEと共に森の追及を受けるようになり、新倉ベースから榛名ベースに移った直後に追及を受け暴行により死亡。 C(21) - 坂東隊メンバーとして金融機関強盗に関与。強盗の際には主に運転手を担った。後に森の追及を受け、死亡。 D(25) - 女性メンバー。当時獄中にあった赤軍派指導部メンバーと内縁関係にあった。中東に渡り後に日本赤軍を結成した重信房子の親友でもあった。合同軍事訓練直前に合法部から非合法部に移り、合同軍事訓練中に永田洋子を中心とした革命左派メンバーによる批判に合い、総括要求を受け、榛名ベースに移った後暴行を受けるに至り死亡。 E(22) - 合同軍事訓練直前に合法部から非合法部に移る。その受動的な態度を森から批判され、D批判の直後に森によりBと共に総括要求を受け、榛名ベースに移った後暴力的総括要求の対象となり死亡。
※この「赤軍派出身メンバー」の解説は、「山岳ベース事件」の解説の一部です。
「赤軍派出身メンバー」を含む「山岳ベース事件」の記事については、「山岳ベース事件」の概要を参照ください。
- 赤軍派出身メンバーのページへのリンク