にし‐サハラ【西サハラ】
西サハラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/19 09:14 UTC 版)
西サハラ(にしサハラ、アラビア語: الصَحْرَاءُ الغَرْبِيَّةُ aṣ-Ṣaḥrā’ al-Gharbīyah、ベルベル語:Taneẓroft Tutrimt、スペイン語: Sahara Occidental、英語: Western Sahara)は、アフリカ大陸北西部の大西洋岸にある地域で、北から時計回りにモロッコ、アルジェリア、モーリタニアに接している。1976年まではスペイン領サハラで、リオ・デ・オロとサギア・エル・ハムラ地区より成っていた。面積26万6000平方キロメートル、人口約57万人(2015年推定)。
- ^ CIA The World Factbook
- ^ “西サハラ”. 国連広報センター. 2019年8月12日閲覧。
- ^ 西サハラ和平交渉再開に期待、国連安保理 全会一致で決議採択 AFP(2017年4月30日)2017年5月3日閲覧
- ^ “米、モロッコの西サハラ自治権付与案を支持”. AFP (2019年6月30日). 2019年11月22日閲覧。
- ^ “モロッコもイスラエルと国交合意 米国が西サハラ主権を承認 独立派は猛反発”. www.afpbb.com. 2020年12月13日閲覧。
- ^ “西サハラ含むモロッコの「新公式」地図、米国が承認”. www.afpbb.com. 2020年12月13日閲覧。
- ^ a b “スペイン領セウタに移民8千人殺到 モロッコとの対立深まる”. AFP. 2021年8月25日閲覧。
- ^ a b “アルジェリア、モロッコと国交断絶 「敵対行為」めぐり”. AFP. 2021年8月25日閲覧。
西サハラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 20:47 UTC 版)
1975年にスペイン領であった西サハラがモロッコに併合。国際的には承認されず、また反モロッコのポリサリオ戦線が併合に抵抗する。1991年から国連の平和維持活動が始まったが紛争は解消していない。
※この「西サハラ」の解説は、「併合」の解説の一部です。
「西サハラ」を含む「併合」の記事については、「併合」の概要を参照ください。
西サハラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/13 15:41 UTC 版)
「アフリカにおける2019年コロナウイルス感染症の流行状況」の記事における「西サハラ」の解説
※この「西サハラ」の解説は、「アフリカにおける2019年コロナウイルス感染症の流行状況」の解説の一部です。
「西サハラ」を含む「アフリカにおける2019年コロナウイルス感染症の流行状況」の記事については、「アフリカにおける2019年コロナウイルス感染症の流行状況」の概要を参照ください。
西サハラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 05:10 UTC 版)
「ザ・ワールド・ファクトブック」の記事における「西サハラ」の解説
西サハラはアフリカ大陸西部にある地域で、1976年まではスペイン領サハラであった。スペイン撤退後、モロッコと独立を望む現地住民らが結成したポリサリオ戦線(政体名サハラ・アラブ民主共和国)が領有権を主張している。現状は沿岸部をモロッコが、内陸部をポリサリオ戦線が支配しているが、国際的には旧スペイン領サハラ全域が係争地、帰属未定地として扱われている。かつてアメリカはどちらの主権を認めておらず、ファクトブックには「西サハラ(Western Sahara)」という個別の項目が存在した。だが2020年12月10日にアメリカはモロッコの西サハラにおける主権を承認したことにより、アメリカの立場では西サハラはモロッコ領となった。
※この「西サハラ」の解説は、「ザ・ワールド・ファクトブック」の解説の一部です。
「西サハラ」を含む「ザ・ワールド・ファクトブック」の記事については、「ザ・ワールド・ファクトブック」の概要を参照ください。
西サハラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 13:53 UTC 版)
詳細は「w:2011 Western Saharan protests」を参照 2010年10月より人権侵害や労働者差別、雇用不足、資源の略奪などに抗議して一連の小規模なデモがすでに起きており、2011年2月以降のデモもその流れを汲んで行われた。
※この「西サハラ」の解説は、「アラブの春」の解説の一部です。
「西サハラ」を含む「アラブの春」の記事については、「アラブの春」の概要を参照ください。
西サハラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 20:30 UTC 版)
詳細は「西サハラ」および「西サハラの行政区画」を参照 ゲルミン=オウィド・ノウン地方(10)、ラユーン=サキア・エル・ハムラ地方(11)、ダフラ=オウィド・エッ=ダハブ地方の3地域は西サハラである。(ただし、ゲルミン=オウォド・ノウン地方の一部地域は除く)西サハラの帰属については議論があり、 西サハラ(ポリサリオ戦線)とモロッコ王国が領有を主張している。 モロッコは「砂の壁」と呼ばれる軍事境界線を設定し、砂の壁西側のほとんどの地域をモロッコが実効支配(もしくは不法占拠)している。 なお、西サハラの面積は266,000km²だが、「砂の壁」より東側(サハラ・アラブ民主共和国/ポリサリオ戦線実効支配地域、「解放区」)は内の82,500km²となり、モロッコが実効支配している地域は183,500km²となる。
※この「西サハラ」の解説は、「モロッコの行政区画」の解説の一部です。
「西サハラ」を含む「モロッコの行政区画」の記事については、「モロッコの行政区画」の概要を参照ください。
「西サハラ」の例文・使い方・用例・文例
固有名詞の分類
- 西サハラのページへのリンク