スペイン領サハラ
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スペイン領サハラ(スペインりょうサハラ、スペイン語: Sáhara Español、Sahara Español、アラビア語: صحراء الاسبانية 、ラテン文字表記:Sahra'a al Isbaniya)は、1884年12月26日から1975年11月4日までのスペイン統治下時の西サハラ地域の名称である。この地域はスペイン帝国の最後の象徴であり、モロッコとモーリタニア、現地の住民の主張だけではなく、主に国際連合による植民地化解決への国際的な圧力によって放棄された。なお、主権は現在紛争下にある。また、人口は9万4000人(1974年)、面積は26万6000平方キロメートルであった(この面積は現在も変わっていない)。
- 1 スペイン領サハラとは
- 2 スペイン領サハラの概要
スペイン領サハラ
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「スペイン領サハラ」を参照 1956年にモロッコがフランスから主権を獲得し、独立を達成すると、新たに独立したモロッコ王国はスペイン領サハラの領有権に関する主張を再開した。1957年のイフニー戦争(英語版)でモロッコ解放軍はシディ・イフニー(英語版)を占領した。スペインはカナリヤ諸島から落下部隊を投入してシディ・イフニーを奪還。この時、多くの部族がモロッコに亡命することになった。同年、スペインはサギア・エル・ハムラとリオ・デ・オロを、スペイン領サハラ州として統合した。それまでスペイン領であったタルファヤとタンタンに関してはモロッコへ割譲することになった。
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