スペイン領サハラとは? わかりやすく解説

スペインりょう‐サハラ〔‐リヤウ‐〕【スペイン領サハラ】

読み方:すぺいんりょうさはら

Sahara Españolスペイン統治時代の、西サハラ呼び名スペイン1975年領有権放棄した


スペイン領サハラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/09 22:53 UTC 版)

スペイン領サハラ(スペインりょうサハラ、スペイン語: Sáhara Español、Sahara Españolアラビア語: صحراء الاسبانية ‎、ラテン文字表記:Sahra'a al Isbaniya)は、1884年12月26日から1975年11月4日までのスペイン統治下時の西サハラ地域の名称である。この地域はスペイン帝国の最後の象徴であり、モロッコモーリタニア、現地の住民の主張だけではなく、主に国際連合による植民地化解決への国際的な圧力によって放棄された。なお、主権は現在紛争下にある。また、人口は9万4000人(1974年)、面積は26万6000平方キロメートルであった(この面積は現在も変わっていない)。




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スペイン領サハラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/25 14:18 UTC 版)

西サハラの歴史」の記事における「スペイン領サハラ」の解説

「スペイン領サハラ」を参照 1956年モロッコフランスから主権獲得し独立達成すると、新たに独立したモロッコ王国はスペイン領サハラの領有権に関する主張再開した1957年イフニー戦争英語版)でモロッコ解放軍はシディ・イフニー(英語版)を占領したスペインカナリヤ諸島から落下部隊投入してシディ・イフニーを奪還。この時、多く部族モロッコ亡命することになった同年スペインサギア・エル・ハムラリオ・デ・オロを、スペイン領サハラ州として統合したそれまでスペイン領であったタルファヤタンタンに関してモロッコ割譲することになった

※この「スペイン領サハラ」の解説は、「西サハラの歴史」の解説の一部です。
「スペイン領サハラ」を含む「西サハラの歴史」の記事については、「西サハラの歴史」の概要を参照ください。

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