西の丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 21:27 UTC 版)
現在の内町小学校・ライオンの森・徳島市民庭球場西の丸コートにかけて存在していた。城山と接する東を除く三方を石垣で囲まれていた。内町小学校の西の塀の外側として残存する。 もともとは西からの防衛拠点だったが、太平の世になるとその意義を失い、藩祖家政が隠居してからは、隠居した元藩主の屋敷となった。
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西の丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 03:30 UTC 版)
現在は埋め立てられ、JR高松駅や西の丸町に当たる。サンポート高松整備事業に伴う西の丸の発掘調査では多くの遺構が発見されたが、その後一般に公開されることもなく埋め戻され、周りと同様に市街地化した。
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西の丸(二の丸)
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この場所には三木高校があったが、今はみき歴史資料館(旧三木市立図書館)と堀光美術館が建設されている。標高は57mで江戸時代迄には本丸に面した場所に櫓が建っており、高さが2間(約3.5m)の土塁があり、三方に空堀があったと思われている。三木市立図書館や堀光美術館が建設される前の発掘調査では、三木城の倉庫跡と思われる場所から21個の備前焼の大甕が発掘された。これに炭化した麦粒がついていたことから、食糧貯蔵用に使用されていたのでは考えられている。この大甕の復元品は三木市立図書館で展示されている。この発掘調査では、門、建物、内堀、外堀跡等の遺構と土器、軒丸瓦、銅銭、獣骨等の遺物も出土した。 三木市立図書館 堀光美術館 本丸と西の丸の間にある空堀跡
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西の丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 10:04 UTC 版)
現在は宮城縣護國神社がある。
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西の丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 09:59 UTC 版)
和歌山城西之丸庭園は、江戸時代初期に西の丸御殿とともに造られた日本庭園で、紅葉渓庭園とも呼ばれる藩主の隠居所であった。城の北西麓という地形を活かし、鳶魚閣や二段の滝が設けられている。しかし、戦災で天守などとともに焼失しその後、図面などを基にして1972年(昭和47年)に鳶魚閣が再建されたが、御橋廊下復元の際に再び庭園の池などの調査を行った。それによると、鳶魚閣は実際には現在の場所ではなく、池の中央付近にあったと推測されている。また、松下幸之助から茶室紅松庵が寄贈されている。西の丸庭園は、江戸時代初期の遺構を残す大名庭園として、国の名勝に指定されている。 また、鶴の渓門跡に浅野時代の鶴の渓庭園跡がある。西の丸庭園前の山吹谷は、徳川時代までは水堀であった。
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「西の丸」の例文・使い方・用例・文例
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