製陶所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/12 17:38 UTC 版)
ひとくちにリモージュ磁器と言っても単一の製陶所がすべてまかなっているわけではなく、歴史節でも紹介したように、いくつもの製陶所が域内に存在したし存在する。中にはすでに閉鎖された製陶所もあるが、以下にその例を挙げる。 アルトワ伯爵製陶所 起源は1736年で、当初は大衆向けの陶器を製造していた。窯印は「CD」。一時はセーブル王立製陶所の支店となるも、以降は私企業として健在。「磁器の製作」節及び「19世紀前半まで」節も参照。 ベニョル製陶所 起源は18世紀設立の「セイニー伯爵製陶所」で、ろくろ工だったエティエンヌ・ベニョルにより引き継がれベニョル製陶所となった。息子の代で製陶所は手放すこととなった。「19世紀前半まで」節も参照。 アリュオー製陶所 フランソワ・アリュオーと、その同名の息子により設立された。この一家は父の時代に「アルトワ伯爵製陶所」の所長を退くと、1798年に「アリュオー製陶所」を設立した。鉱物学者だった息子が編み出した磁器の白色は定評があった。1816年、ヴィエンヌ川沿いに新しい工場を設立した。この工場は川沿いのため、燃料とした木材のいかだを横持ちする手間が要らず、また物品入市税も免除されるという特権もあり発展を遂げ、ヨーロッパやアメリカへも輸出を行った。彼の死後しばらくして、アメリカ人に買い取られることとなった。「19世紀前半まで」節も参照。 プイヤ製陶所 カオリンの採掘所を経営していたフランソワ・プイヤにより、1835年に設立された。自前で採掘所を持っている強みから最高の素材を使用できたため、その白に定評があった。石炭焼上げ技法と透かし装飾も特徴。1912年、ゲラン製陶所に買収された。「黄金時代」節も参照。 リュオー製陶所 19世紀中頃。石炭焼上げ技法と、本焼にコバルトを使用した青色が特徴。 アビランド製陶所(フランス語版) 1864年設立。1842年にリモージュを訪れ、1847年にはアトリエも開いていたダビド・アビランドとその2人の息子により設立された。ジャポニズムの影響を受けた装飾の導入や、アメリカへの輸出拡大と、地元への貢献も評価される。複数のアメリカ合衆国大統領からの注文も受けている。息子の兄シャルル=エドゥワール (Charles Edward Haviland:フランス語版)は豪腕で大いに発展したものの、独裁的であり、これに反発した弟のテオドール (Theodore Haviland)は1892年に独立し、次項のテオドール・アビランド製陶所を設立する。「黄金時代」節も参照。1921年にシャルル=エドゥワールが死去した後、1931年に閉鎖された。 テオドール・アビランド製陶所 (英語版) 1892年、アビランド製陶所から独立したテオドール・アビランドにより設立された。1903年には彼の息子、ギヨーム (William Haviland)も参加した。作風は1912年を境に大きく変化する。これはテオドールからギヨームへ主体が変わったことによる。ギヨームは装飾に有名アーティストを登用し、新風を呼び込んだ。1941年、ギヨームは閉鎖されたアビランド製陶所の商標を買い取り、統合を果たした。製陶所は、ギヨームの息子テオドール・アビランド二世 (Theodore Haviland II)に引き継がれた。1972年以降、3度買収されたが現在でも健在であり、銀製品やガラス器の製造も並行して行っている。
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