製陶以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/10 15:38 UTC 版)
嘉永4年(1851年)5月25日加賀国金沢馬場六番丁(石川県金沢市小橋町)に諏訪重左衛門の長男として生まれた。幼名は栄三郎。文久3年(1863年)13歳で父を喪ったため、藩の規定により元治元年(1864年)14歳で家名を継ぎ、同時に剣道、馬術、水練術の免許を得て家督を相続、手工により家計を支えた。 明治元年(1868年)1月壮猶館教授役、明治2年(1869年)12月合図方練習、明治3年(1870年)10月五番大隊合図長を務め、12月修業のため上京し、明治4年(1871年)2月東京府兵関門上役となったが、上官と対立して5月帰郷し、12月軍を離れた。 明治5年(1872年)2月金沢航海学校に入学したが、1873年(明治6年)2月閉校となり、退学した。この間水産講習所で教員として働き、捕鯨用麻縄、缶詰、燻製、塩漬けについて研究した。
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