補修作業と重要文化財指定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/30 16:17 UTC 版)
「横利根閘門」の記事における「補修作業と重要文化財指定」の解説
閘門は建造以降、部分的な補修をすることはあったが、大規模な補修は80年にわたりなされていなかった。そのため、門扉が腐食するなど老朽化が進んでいた。また、これまで手動だった門扉の開閉を、省力化と時間短縮のために自動化することも望まれていた。 1994年(平成6年)3月、建設省利根川下流工事事務所は検討委員会を設け、閘門の損傷状態を調査したうえで対策を検討した。その結果、自動化工事とあわせ土木遺産としての価値を後世に伝えるための復元修復工事を実施することにした。すなわち、腐食した門扉の一部を交換し、開閉作業は電動化するものの、基本は建造当時の形で、当時の手法により復旧させることに決まった。 原形復旧が決まったのは、本閘門が技術・意匠・系譜の点で高く評価され、日本の近代化遺産として価値あるものとみなされたことによる。加えて、当時は土木遺産を保存しようという動きが日本各地で見られはじめていたことや、閘門を新築するには新たな水路を確保しなければならず現実的ではなかったことも理由として挙げられる。 工事は1994年に始まり、約10か月にわたる作業となった。門扉は取り外され、錆などを取り除いた後、腐食部分を切り離して交換した。特に、水に常時浸かっている部分の腐食が激しかった。接合は溶接でなく、建造当時のようにリベットを用いたが、修復作業時にはすでに使われていない技術であったため苦労を要した。また、防舷材は過去の修復で鋼材に交換されていたが、木製に復元した。 工事完了後の1999年度、閘門の周辺は建設省の環境整備事業によって公園となり、2000年(平成12年)4月25日に横利根閘門ふれあい公園として公開された。 2000年3月、横利根閘門は国指定重要文化財に答申された。愛知県立田村(現愛西市)の船頭平閘門と同時の指定であった。閘門が重要文化財になるのは富山市の中島閘門に続く2例目、建設省河川局が管理する施設では初めての指定となる。また、横利根閘門の附(つけたり)として、利根川治水記功碑、中川吉造胸像所、旧門扉、旧排水扉巻揚機械も指定された。横利根閘門の文化財指定に際しては、現役の河川構造物であるため、緊急時の修繕あるいは日常の維持管理にともなう修繕に対して、その都度文化庁との協議が必要になり、治水上、および業務管理上支障をきたすのではないかなどといった懸念も示された。これに対しては、横利根川の治水機能はすでに横利根水門にゆだねられていること、緊急時の修繕は文化庁と確認書を交わして対処すること、細かな修繕は文化庁との協議や申請が不要であることなどを確認して、施設管理の方針を立てることで対応した。
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