衆参ダブル選
別名:衆参ダブル選挙、衆参W選、衆参同日選、衆参同日選挙、衆議院・参議院同日選挙
衆議院議員選挙(総選挙)、参議院議員選挙(通常選挙)の両選挙における投票を、同じ日に実施すること。衆参両議院の同日選挙。
ダブル選を行い、通常は別個に実施される選挙の投票を1日にまとめることにより、有権者は投票に参加しやすくなる。そのため投票率が上がりやすい。ダブル選において増加する票はおおむね浮動票である。
衆議院と参議院が同時に選挙を行うことで、改選議席の国会議員が全て選挙の対象となり、国会議員の大規模な入れ替わりが起こり得る。また、衆参ダブル選は両議院の構成が互いに似通ったものになりやすいとされ、政権与党と対極の立場を取る最大野党が大敗したり、あるいはその逆の事態が起こる場合もままあるとされる。
衆参同日選挙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/02 05:30 UTC 版)
衆参同日選挙(しゅうさんどうじつせんきょ)は、衆議院議員総選挙と参議院議員通常選挙の投票日を同日にする選挙のこと。衆参同時選挙[1]、衆参ダブル選挙[2]とも呼ばれる。
- ^ 池上彰氏が解説する「2019年衆参同時選挙と33年前の大勝」 【衆参同時選挙】――池上彰「WEB 悪魔の辞典」文春オンライン
- ^ 消費増税を再延期・衆参ダブル選挙で勝ち、改憲へ——急浮上する「安倍首相のベストシナリオ」BUSINESSINSIDE公式サイト
- ^ “山本太郎氏、小沢一郎代表と分裂も野党共闘呼びかけ - 社会 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2019年5月25日閲覧。
- ^ “4年前から安倍首相の脳裏にあった切り札 「調子に乗ってはいけない」と自重 状況が一変したきっかけは…”. 産経新聞. (2016年6月2日) 2021年9月5日閲覧。
- ^ “愛知の「同日選違憲」訴訟、「政治判断に」と棄却 名古屋高裁”. 朝日新聞. (1987年3月26日)
- ^ “同日選違憲訴訟、司法審査及ばぬ 最高裁が上告を棄却”. 朝日新聞. (1987年11月24日)
- ^ “「86年の同日選は違憲」の上告棄却 最高裁が初判断 衆院解散は政治判断”. 読売新聞. (1987年11月24日)
- ^ “無効票 いつもの倍 自治省発表”. 朝日新聞. (1980年6月26日)
- 1 衆参同日選挙とは
- 2 衆参同日選挙の概要
- 3 概説
- 4 選挙期日の法的制約
- 5 変則衆参同時選挙
衆参同日選挙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 21:16 UTC 版)
5月19日、衆議院解散。5月30日に第12回参議院議員通常選挙が公示され、6月2日に第36回衆議院議員総選挙が公示された。 自民党執行部は不信任案に反対した田中・大平両主流派や旧中間派の議員と、反主流派のうち本会議に出席して不信任案に反対した中曽根派議員を第1次公認とし、欠席した反主流派の議員は第2次公認という形を取った。 大平首相は新聞記者に対し「政党は夫婦みたいなもので、こんなことがあってもどうということはない。俺も鳩山内閣不信任案に欠席をしたことがある。政党は分離と独立を繰り返していくものだ。昨年の首班指名の時は別の名前を書かれたが、今回は欠席だから状況はよくなっている。諸君は事実上の分裂選挙と言うが、総裁以下号令一下、挙党一致で闘ったことなど一度もないんだよな」と語っている。 当初は分裂選挙の様相を呈していたが、選挙中であった6月12日に大平が急死するという緊急事態が起こる。それを受けて自民党主流・反主流両派は一転して融和・団結し弔い選挙の様相を見せて選挙戦を進めた。22日の投票で自民党は衆参両院で地すべり的大勝を収め(衆議院は284議席、参議院は69議席)、不信任案を提出した野党、特に公明党は大敗を喫した。(ただし、社会党は現状維持)これで6年間続いた衆参両院における与野党伯仲状態は完全に解消した。大平の死と引き換えに得た大勝利であった。 これは自民党に多くの同情票が集まったためと言われることが多いが、一方で石川真澄などは「四十日抗争、ハプニング解散、そして現職首相の総選挙中の死という異常な出来事が1年の間に次々と起きたことが、有権者の政治への興味、関心を高め、投票所に向かわせたことが勝因である」との見解を示している。また、一般的には敗北とみなされている前年の衆院選でも、自民党の得票率は回復傾向を見せていた。自民党の勝利は、都市部で投票率が大きく上がり、それがそのまま得票増になったところが大きく、都市住民の自民回帰も指摘された。 ともあれ、大平の死によって形としては党の一致団結を見せたものの、解散の引き金となった福田・三木派といった反主流派は、ポスト大平において声を上げることが困難となり、大平派の幹部でそれまで総裁候補と認識されていなかった鈴木善幸の後継選出につながった。ギリギリの判断で不信任案反対に回った中曽根は後継を逃したものの、この混乱過程で主流派入りを宣言し、行管庁長官という立場でポスト鈴木の最右翼につけることになった。こうして、ハプニング解散は以後の自民党政治の帰趨に大きな影響を与えたといえる。
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