四十日抗争と衆参同日選挙とは? わかりやすく解説

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四十日抗争と衆参同日選挙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:24 UTC 版)

大平正芳」の記事における「四十日抗争と衆参同日選挙」の解説

詳細は「四十日抗争」および「ハプニング解散」を参照 政権基盤強固ではなく田中角栄影響強かったことから、大平内閣は「角影内閣」と呼ばれた大平支え田中派など自民党主流派福田支持する三木派らの反主流派との軋轢大平総理就任後も続いた1979年衆院選では大平増税発言響いて自民党過半数割り込む結果を招くと、大平選挙責任を問う反主流派大平退陣要求するが、大平は「辞めということは死ねということか」として拒否。ここに四十日抗争呼ばれる党内抗争発生し自民党分裂状態になった大平は、両派の妥協案として浮上した総総分離」案も拒否し強気姿勢をとり続ける。 選挙後国会首班指名選挙では反主流派福田投票した結果過半数を得る者がなく、決選投票では、大平派田中派中曽根派渡辺系・新自由クラブ推す大平と、福田派三木派中曽根派中川グループ推す福田一騎討ちとなった結果138票対121票で大平福田下して第2次大平内閣発足した。 これによって自民党内にはかつてない怨念」が残り事実上分裂状態続いた結果第2次大平内閣事実上少数与党内閣様相呈した翌年1980年昭和55年5月16日社会党内閣不信任決議案提出すると、反主流派はその採決公然と欠席してこれを可決追い込んだ不信任決議案の提出野党パフォーマンスの意味合い強かったため、可決には当の野党驚いた大平不信任決議案可決受けて衆議院解散ハプニング解散)、総選挙参議院選挙の日に合せて行うという秘策衆参同日選挙政局乗り切ろうとした。こうして第12回参院選5月30日に、第36回衆院選6月2日公示された。両選挙投票日6月22日決まった

※この「四十日抗争と衆参同日選挙」の解説は、「大平正芳」の解説の一部です。
「四十日抗争と衆参同日選挙」を含む「大平正芳」の記事については、「大平正芳」の概要を参照ください。

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