羽田空港との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 05:41 UTC 版)
「東京国際空港」、「羽田空港 (大田区)」、および「羽田航空神社」も参照 穴守稲荷神社と羽田空港(航空業界)の関係は深く、その始まりは、現羽田空港B滑走路南端の滑走路番号付近に鎮座していた穴守稲荷神社の近くに、1917年(大正6年)玉井清太郎と相羽有らによって「日本飛行学校」と「日本飛行機製作所」が創立され、その後1931年(昭和6年)に神社の直ぐ北側に東京飛行場が開港した頃にまで遡る。 第二次世界大戦後、連合国軍による「HANEDA ARMY AIR BASE」(東京飛行場)拡張の為、氏子共々強制退去という悲劇に見舞われたものの、羽田(鈴木新田)の地を災害から守る『堤防の鎮守』という草創の故実より、羽田空港旧ターミナルビルには羽田航空神社と並んで穴守稲荷神社の分社も祀られており、現在でも羽田航空神社例祭や新年祭、空港関係の工事安全祈願祭や開所式などの空港内の神事、羽田空港関係の官公庁・航空業界・物流業界・建設業界・宿泊業界の新年祈願や清祓はもとより、航空業界や関係官公庁の要職者から一般の空港利用者に至るまで、航空安全・旅行安全の神社としての崇敬が篤い。また、節分祭などの神社祭事に、航空会社の従業員が奉仕することもある。古くから飛行機柄の朱印帳や旅行安全守、航空安全守なども授与しており、空港に最も近い神社である立地から、南風の午後にはB滑走路より南西の空へ飛び立つ飛行機を境内より目近に見る事が出来る。 また、現在地近くにも空港関係の企業や訓練施設、宿舎も多く、境内の東側隣接地は、2006年9月まで日本航空の乗員訓練センターがあり、シミュレーターによる運航訓練をはじめ、数々のパイロットやキャビンアテンダントを輩出した。当時の訓練生の間では、穴守稲荷神社の願い木を神前に奉納すると、希望の部署に配属されるという一種の験担ぎがあったと云う。スカイプラザビルとなった現在でも、日本航空系企業のオフィスや職員寮として使われており、正面アプローチ中央に『747シミュレーター機の思い出』と題された、米ボーイング747型機のフライトシミュレーターの実物が展示されている。境内から北に800m程の位置には、全日本空輸の訓練センター(ANAビジネスセンタービル)も存在し、2020年6月には境内北側500m程の至近に総合訓練施設「ANA Blue Base」として発展的移転をしている。 このような歴史的背景と地理的環境から、神社と羽田空港との関係は深く、航空各社や関連会社の従業員には穴守の地に特別な思いを抱く者も多いと云われている。
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