結婚、著述、政治とは? わかりやすく解説

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結婚、著述、政治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/26 08:09 UTC 版)

ナンシー・ミットフォード」の記事における「結婚、著述、政治」の解説

アースキン分かれて1か月経たない内に、ナンシーはレネル・ロッド卿の次男ピーター・ロッドとの婚約発表したロッド卿は外交官かつ政治家であり、その年にレネル男爵として貴族に列せられたばかりだった。ナンシー友人ハロルド・アクトンに拠れば、ピーター・ロッドは「際限なく将来のある若者であり、選ぶことになったどんな職業でも成功する豊富な資質がある」と評価していた。他の伝記作者は、責任感無く不誠実で、退屈で、固定した職に就けない者と表現している。またウォー作品『黒い悪戯』の無節操道徳心が無い登場人物バジル・シールのモデルにもなった。二人1933年12月4日結婚しその後ロンドンの西外れにあるストランド・オン・ザ・グリーンのコテージ入った結婚した当初喜び包まれナンシーだったが、間もなく金の悩みロッド無責任さロッド家族嫌悪したことで喜び無くなっていった。 1934年ナンシーは3作目小説緑地の鬘』に取り掛かった。これはモズレーファシスト「ブラックシャツ」運動の風刺だった。ナンシー自身短期間この運動没入しただけであり、その熱狂短命で、間もなくファシズム騒々しい敵対者になった。この小説出版され1935年にはほとんど書評書かれなかったが、家族の特にダイアナユニティという妹二人怒らせることになった二人ともモズレー運動支持し次第ドイツ独裁者アドルフ・ヒトラー支持するようになっていた。ダイアナ最後ナンシー許したが、この本の中で愚かな「ユージニア・マルマン」として描かれていたことに怒ったユニティとの間の溝が埋められることはなかった。 1936年までにナンシー結婚生活はほとんど破綻していた。ロッド友人の妻との情事にふけるようになり、その状態は新年になって継続していた。その1937年19歳の妹ジェシカ従兄弟のエズモンド・ロミリーと駆け落ちしたことで、ミットフォード家揺り動かされた。反抗的なウェリントン学生共産主義者明言していたロミリーは、スペイン内戦共和国側で戦った後に、傷病兵として家に送り返されていた。この若いカップルビルバオ行ったことが分かった二人連れ戻させるためにナンシーが行ったが、説得できなかった。二人5月結婚した1937年から1938年の冬、ナンシー文学活動中心は、従兄弟のスタンレーズ・オブ・アルダリーの手紙を編集することであり、この従兄弟とは曾祖母のブランシェ・エアリーを通じて繋がりがあった。ナンシーはこの仕事1日9時間から10時間を使っており、それで時間費やされることを不快に思ったロッドとの関係をさらに悪くしたと、友人のロバート・バイロンに知らせていた。それでも1938年夏、ナンシー妊娠したことが分かった女の子期待し1つの家に2人のピーター・ロッドなんて考えられないと言っていたが、9月流産した1939年初期ロッドがサウス・オブ・フランスに出発しスペイン内戦最終段階フランコ将軍軍隊から逃げてきたスペイン人避難民数千人を援助する組織働いた5月ナンシーロッド合流して救援作業者としてそこで数週間過ごしたナンシーはこのとき見たものに動かされた。「私の人生これほど泣いたことはなかった」と言っていた。この経験反ファシズム感情硬化させており、「この病気拡大を防ぐためになら、悪魔手を握ることもしよう」と書くまでになっていた。 ナンシー家庭内政治的に極論に走ることを拒否し中道的社会主義立場を採ったが、ヘイスティングス指摘しているように、それほど深さ確信無かったナンシー著作多く例えスタンレー書簡集への前書き、さらに1995年随筆『Uと非U』では貴族的な伝統価値頑固に弁護している。

※この「結婚、著述、政治」の解説は、「ナンシー・ミットフォード」の解説の一部です。
「結婚、著述、政治」を含む「ナンシー・ミットフォード」の記事については、「ナンシー・ミットフォード」の概要を参照ください。

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