さん‐がく【算額】
算額〈元禄四年五月二十四日長谷川鄰完奉納/〉
主名称: | 算額〈元禄四年五月二十四日長谷川鄰完奉納/〉 |
指定番号: | 70 |
枝番: | 0 |
指定年月日: | 1993.06.10(平成5.06.10) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 歴史資料 |
ト書: | |
員数: | 1面 |
時代区分: | 江戸 |
年代: | 元禄4年 |
検索年代: | |
解説文: | 算額は、木板に和算の問題を記して神前・仏前に掲げた絵馬の一種で、奉納者が問題とともに解法を記すものが多いが、難問のみを提示して同学者の解答を求めたもの(遺題【いだい】)もある。文献上は寛文十三年(一六七三)刊の村瀬義益『算法勿憚改【さんぼうふつたんかい】』が武州・目黒不動尊に掲げられた算額の内容を紹介しているのが初見である。算額の奉納は近年に至るまで行われ、全国には江戸時代末までに奉納されたものが約四〇〇面確認されている。 この算額は、元禄四年(一六九一)に京都・祇園社に奉納されたもので、奉納者長谷川鄰完が序文に述べるところによれば、同門の山本宗信が、和算の難問の解法と宗信自身が考案した遺題二問を算額にして、伏見御香宮【ごこうのみや】の神前に掛けたが、遺題には解答を試みる人もなかったため、鄰完が答術を顕して、祇園社の神前に掛けたものである。 問題は二問あり、第一問は長方形に内接する三角形の三辺の長さを既知とし、長方形の二辺に与えられた条件から、長方形の二辺を求める問題で、横の長さを未知数とする二八次方程式に帰着する。第二問はより複雑で、三つの正方形の面積の和と、正方形の各辺に与えられた条件から、それら各辺の長さを求める問題で、乙と名付けられた正方形の一辺を未知数xとするとき七〇次方程式に帰着する。いずれも連立多元高次方程式の問題で当時の数学において最新の技法であった演段術【えんだんじゆつ】(点竄術【てんざんじゆつ】)を用いて一元高次方程式に導いている。 出題者の山本宗信および奉納者の長谷川鄰完については、その伝を審らかにしないが、本算額で取り上げられた問題はいずれも難度の高いもので、当時の数学研究の水準を知ることができる。また算額奉納の最初期の遺例の一つとして貴重であり、わが国数学史上価値が高い。 |
歴史資料: | 石黒信由関係資料 福井家京枡座関係資料 竪削盤 算額 箱館奉行所文書 紙本墨書普広院旧基封境図 紙本墨書鶴岡八幡宮修営目論見絵図 |
算額
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/13 13:49 UTC 版)
算額(さんがく)とは、江戸時代の日本で、額や絵馬に和算の問題や解法を記して、神社や仏閣に奉納したものである。
- ^ 算額の問題に挑戦して見ませんか? - 日経サイエンス、1998年7月号
- ^ 深川(1998)
- ^ ただし、この算額は1975年の火事で表面が焼けてしまい判読不能になってしまっている。ついで北野天満宮(京都市)の貞享3年(1686年)のものが古いとされる。
- ^ 「算額を奉納すると言って高崎の八幡宮に行った」『パズル通信ニコリ』121号、2008年12月、76-77頁。 なお、このときニコリ社では算額ならぬ「数独額」を奉納している。
- ^ 22面のうちの最古のものは享和3年(1801年)丸山良玄門人大西佐兵衛義全奉納のもので、最新のものは昭和12年(1937年)村上先生門人中村正教奉納のものである。
- ^ 八坂神社の元禄4年の算額(重要文化財)は、天和3年(1683年)に奉納された御香宮神社(京都市伏見区)算額の解答額となっている。
- ^ 渋谷金王神社の算額内容 群馬県和算研究会
- ^ “福井県の文化財「鶴亀松竹の算額」”. 福井県. 2018年2月17日閲覧。
- ^ “有形民俗文化財 豊中市「服部天神宮算額」”. 豊中市. 2019年2月12日閲覧。
- ^ “有形民俗文化財 豊中市「服部天神宮算額」”. 豊中市. 2019年2月12日閲覧。
- ^ “石部神社の算額”. 鯖江市. 2021年4月14日閲覧。
- ^ “中野神社の算額”. 鯖江市. 2021年4月14日閲覧。
- ^ “算額”. 鯖江市. 2021年4月14日閲覧。
- ^ “算額”. 鯖江市. 2021年4月14日閲覧。
- ^ “算額”. 鯖江市. 2021年4月14日閲覧。
算額
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 14:54 UTC 版)
「日本の発明・発見の一覧」の記事における「算額」の解説
日本の幾何学パズルは、江戸時代にあらゆる社会階級の人々によって作られたユークリッド幾何学の木版に描かれている。オランダの日本学者イサーク・ティチングが、極東での20年以上の滞在を終えて1790年代後半にヨーロッパに帰国した際に、算額を初めて西洋に紹介した。
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算額
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詳細は「算額」を参照 算額(さんがく)とは額や絵馬に数学の問題や解法を記して、神社や仏閣に奉納したものである。平面図形に関する問題の算額が多い。数学者のみならず、一般の数学愛好家も数多く奉納している。 算額は数学の問題が解けたことを神仏に感謝し、益々勉学に励むことを祈願して奉納されたと言われる。やがて、人の集まる神社仏閣を数学の発表の場として、難問や問題だけを書いて解答を付けずに奉納する者も現れ、その問題を見て解答を算額にしてまた奉納するといったことも行われた。算額奉納の習慣は世界に例を見ず、日本独自の文化である。 算額に記された問は、ほとんどがユークリッド幾何学に関する図形問題であり、同時期の西洋にも劣らない問も残っている。 1997年(平成9年)に行われた調査結果によると、日本全国に975面の算額が現存している(『例題で知る日本の数学と算額』森北出版)。これら現存する算額で最も古いものは栃木県佐野市にある星宮神社にあり、1657年(明暦3年)に掲げられたとされる。新しいものでは、昭和年づけのものが幾つか現存している。明治以降、洋算化の進む中で和算をたしなみ続けた人々がいたが、この風習はそういった和算家により昭和初期まで続けられた。 算額を扱った小説として遠藤寛子『算法少女』がある。 近年、算額の価値を見直す動きが各地で見られ、一部では算額を神社仏閣に奉納する人びとも増えている。これは直接和算の伝統を受け継いだものではないことが多いが、いずれにしても日本人の数学好きをあらわす文化事象として興味深い。 金王八幡宮(東京都渋谷区)の算額。安政6年(1859年)奉納。 金王八幡宮(東京都渋谷区)の算額。元治元年(1864年)奉納。
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