第五高等女学校とは? わかりやすく解説

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第五高等女学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 04:38 UTC 版)

東京都立富士高等学校・附属中学校」の記事における「第五高等女学校」の解説

1918年11月 - 尾張屋銀行の峯島家4代目峯島茂兵衛の妻であった峯島喜代東京府女子教育強化目的とした学校設立計画働きかけ資金および土地東京府に提供 1919年12月27日 - 東京府立第五高等女学校設立認可修業年限5年定員500名) 1920年4月18日 - 東京府立第三高等女学校(現駒場高校校舎借用し開校本科第一回入学式挙行5月10日校舎一部落成し移転5月23日東京府豊多摩郡淀橋町角筈879(現・新宿区歌舞伎町1-19。現在は新宿東宝ビルが建つ)に校舎落成周辺には本校の他に大きな建物大久保病院程度しかなく、シンボル存在であったという。 同11月5日 開校記念式挙行創立記念日とする 1922年10月16日 - 照顔会(生徒会開始 1924年11月10日 - 『校友創刊 1925年1月15日 - 第1回生徒会開催 1926年10月19日 - シャム(現タイ文部大臣ダニー親王来校 1927年4月18日 - 家事専攻科設置修業年限3ヶ年定員120名) 1935年11月10日 - 同窓会誌『若竹創刊 1936年11月18日 - 中野区富士見町9(現在地)に新校地決1939年2月13日 - 東京府立第五高等女学校夜学校設置認可 1940年4月1日 - 東京府立第五高等女学校夜学校併置 1941年4月1日 - 東京府立第五高等女学校夜学校東京府立昭徳女学校改称 1943年4月1日 - 東京府立昭徳女学校東京府立第五高等女学校第二部改称7月1日都制実施により東京都立第五高等女学校(第二部東京都立第五高等女学校第二部)に改称 1945年4月14日 - 戦災により校舎全焼5月21日四谷第五国民学校(現新宿区立花園小学校)を仮校舎とし授業再開 1946年4月1日 - 東京都四谷高等家政女学校前身は、1916年開校の「東京市四谷区女子実業補習学校」)を統合4月27日本科1・2年生および専攻科四谷第七小学校(現新宿区立花園小学校)。5月15日四谷第五小学校より四谷第七小学校移転 1947年4月1日 - 新制中学発足により1年生募集停止10月1日中野区富士見町9で校舎新築起工式

※この「第五高等女学校」の解説は、「東京都立富士高等学校・附属中学校」の解説の一部です。
「第五高等女学校」を含む「東京都立富士高等学校・附属中学校」の記事については、「東京都立富士高等学校・附属中学校」の概要を参照ください。

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