第五高等女学校
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「東京都立富士高等学校・附属中学校」の記事における「第五高等女学校」の解説
1918年11月 - 尾張屋銀行の峯島家4代目故峯島茂兵衛の妻であった峯島喜代が東京府に女子教育の強化を目的とした学校設立計画を働きかけ、資金および土地を東京府に提供 1919年12月27日 - 東京府立第五高等女学校設立認可(修業年限5年、定員500名) 1920年4月18日 - 東京府立第三高等女学校(現駒場高校)校舎を借用し開校。本科第一回生入学式挙行。5月10日、校舎一部落成し移転。5月23日、東京府豊多摩郡淀橋町字角筈879(現・新宿区歌舞伎町1-19。現在は新宿東宝ビルが建つ)に校舎落成。周辺には本校の他に大きな建物は大久保病院程度しかなく、シンボル的存在であったという。 同11月5日 開校記念式を挙行し創立記念日とする 1922年10月16日 - 照顔会(生徒会)開始 1924年11月10日 - 『校友』創刊 1925年1月15日 - 第1回生徒会開催 1926年10月19日 - シャム(現タイ)文部大臣ダニー親王来校 1927年4月18日 - 家事専攻科設置(修業年限3ヶ年、定員120名) 1935年11月10日 - 同窓会誌『若竹』創刊 1936年11月18日 - 中野区富士見町9(現在地)に新校地決定 1939年2月13日 - 東京府立第五高等女学校夜学校設置認可 1940年4月1日 - 東京府立第五高等女学校夜学校併置 1941年4月1日 - 東京府立第五高等女学校夜学校を東京府立昭徳女学校に改称 1943年4月1日 - 東京府立昭徳女学校を東京府立第五高等女学校第二部に改称。7月1日、都制実施により東京都立第五高等女学校(第二部は東京都立第五高等女学校第二部)に改称 1945年4月14日 - 戦災により校舎全焼。5月21日、四谷第五国民学校(現新宿区立花園小学校)を仮校舎とし授業再開 1946年4月1日 - 東京都立四谷高等家政女学校(前身は、1916年開校の「東京市四谷区女子実業補習学校」)を統合。4月27日、本科1・2年生および専攻科は四谷第七小学校(現新宿区立花園小学校)。5月15日、四谷第五小学校より四谷第七小学校へ移転 1947年4月1日 - 新制中学発足により1年生募集停止。10月1日、中野区富士見町9で校舎新築起工式
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