角筈
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角筈(つのはず)は、かつて東京都新宿区にあった地名。町名設置当初は、角筈一丁目から角筈三丁目まであった。現在は、西新宿の大部分及び歌舞伎町一丁目と新宿三丁目の一部。
注釈
出典
- ^ 新編武蔵風土記稿 角筈村.
- ^ 金子勤『東京23区の地名の由来』幻冬舎。
- ^ 新宿区教育委員会『新宿区町名誌/地名の由来と変遷』
- ^ 字渡邊土手際16-27番地に編入。その後甲州街道の拡幅に伴い、道路用地になっている。
- ^ 同年7月23日、自治省告示第124号
- ^ 同年1月25日、自治省告示第13号
- ^ 同年10月4日、自治省告示第174号
- ^ ただし、都営バス・小田急バス・新宿区WEバス「角筈二丁目」停留所が2012年現在も甲州街道沿いに残る(ただし西行の所在地は渋谷区代々木二丁目になる)。
- ^ 東京市新區町名地番表 - 国立国会図書館近代デジタルライブラリー
- ^ a b c d 出典は『映画年鑑 1969年版 別冊 映画便覧 1969』時事通信社、1969年。この文献を出典とする1969年の映画館(関東地方)「消えた映画館の記憶」を参照した。
- ^ a b c d e f g h i j 出典は『映画年鑑 戦後編 別冊 全国映画館録 1960』日本図書センター、1999年。この文献を出典とする1960年の映画館(関東地方)「消えた映画館の記憶」を参照した。
- ^ 「京王帝都の本社改築 25日から二劇場も華やかに店開き」『交通新聞』交通協力会、1956年12月26日、2面。
角筈(つのはず)
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新宿区発足当初の角筈の町域は、現在の歌舞伎町一丁目のほぼ全域、新宿三丁目の東半分(新宿駅東口周辺)、西新宿一丁目と三丁目の全域、西新宿二丁目のほぼ全域、西新宿四丁目の一部(歌舞伎町一丁目のうち、新宿遊歩道公園より西はすべて除く。ただし、遊歩道公園の北側入り口付近に接するごくわずかなエリアを含む。新宿三丁目のうち、紀伊國屋書店新宿本店・新宿三越ALCOTT店・大塚家具新宿ショールーム等の東側境界より東はすべて除く。西新宿二丁目のうち、新宿中央公園の西側半分は除く。西新宿四丁目のうち、新宿区立西新宿小学校敷地の北側に接する道路より北はすべて除く)。このエリアのうち、おおむね歌舞伎町一丁目と新宿三丁目が角筈一丁目、西新宿一丁目のうち新宿野村ビル・損保ジャパン本社ビル・新宿センタービルを除いたエリアが角筈二丁目、西新宿一丁目の残りと西新宿二 - 四丁目が角筈三丁目である。新宿区発足当初の角筈は、渋谷区(南 - 西)・十二社(西)・淀橋(北西)・柏木一丁目(北)・西大久保一 - 二丁目(北西)・三光町(東)・新宿三丁目(東)・旭町(南)に隣接。1948年(昭和23年)4月1日、戦災復興事業の一環として角筈一丁目のうち靖国通りより北側が三光町の一部などとともに区画整備され歌舞伎町(当時)として分離。ただし、現在の新宿遊歩道公園北側の一画は歌舞伎町とはならず角筈一丁目として存続したため、以降飛地となった。そののち段階的に住居表示が実施され、1970年(昭和45年)4月に西新宿一 - 四丁目が誕生し、角筈三丁目が消滅。1973年(昭和48年)1月に現在の新宿三丁目が誕生し角筈二丁目が消滅。1978年(昭和53年)7月に歌舞伎町一丁目が誕生し、飛地の角筈一丁目も消滅した。かねてから新宿地区の重心は西へと移動しつつあったが、この角筈の消滅により、新宿駅の所在地は新宿三丁目に、副都心の高層ビル群の所在地は西新宿二丁目となり、新宿地区のこれらの要所の住所と実態とが一致することになった。
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