天真正伝香取神道流
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天真正伝香取神道流(てんしんしょうでんかとりしんとうりゅう)は、室町時代中期に飯篠家直によって創始された武術流儀で兵法三大源流の一つである。流儀の興った頃から江戸時代初期迄新當流、天真正新當流[1]、或いは神道流、香取神道流とも呼ばれる。古い伝書では香取新当流となっているものもある。旧字表記では天眞正傳香取神道流。なお、神道夢想流杖術の併伝武術として伝えられている剣術も神道流という名称だが、上記の神道流とは別系統のものである。
- 1 天真正伝香取神道流とは
- 2 天真正伝香取神道流の概要
- 3 流儀の内容
- 4 歴史
- 5 神道流を修めた人物
- 6 外部リンク
神道流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 15:32 UTC 版)
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神道流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:34 UTC 版)
吉川惟足(1616-1690)は吉田神道を受けて吉川流神道一派を立てた。吉田兼倶『神道大意』について講じ、神国日本が万国に秀でているとして、外教を崇める者を非難して「これ日本が万国の根本の国なり」、「神明最初出現の国という心にて神国というぞ」、「我が国に生まれて神の子孫たる人、神国の粟を食みながら、他邦の道をあがめ、わが先祖の道を知らざるは、たとい万巻の書をそらんずるとも一文不通の盲人というべし。もっとも憐哀すべきかな」と述べた。 度会延佳(1615-1690)は伊勢神道の復興し、『陽復記』を著して主に神儒習合というべき神道説を展開した。唐土の易、陰陽、理気の学を日本の神道と合わせた。度会延経は父延佳の度会神道を継いで家業を興したが主に考証に専念したため神道論や国体論を残さなかった。度会延経の門人の喜早清在は『陽復記衍義』を著して、我が国が国常立尊・天照大神に始まり神武天皇の166代の今日に至るまで他姓を交えず神器を伝えたことは世に比類がないと論じた。度会常典も『神国問答』を著して、我が国が神国である所以、他国に優れている所以を論じた。ついで度会常彰は元文2年(1737)12月『神道弁明』を公にし、日本の国体の成立の君先民後、すなわち「彼は民ありて後に主を立て、この国は農民あらざるの前に既に以て主たり」とし、皇統の天壌無窮を論じた。そして延享5年(1748)に著した『日本国風』巻一に「神国」と題して、日本が神国である所以について、大祖・国常立尊より綿々として今上天皇に至るまで伝えてきた皇統が神胤であり、また国民も全て神孫であることによって説明した。さらに神国と称された所以について、和歌や国史や家伝文書等に現れた神国という語、または神国という観念が現れた場合を考証して説明した。「神国妄謂太伯徐福後」の項に、偏った儒者が妄りに、日本を夏康少康の子孫であるとする魏書の説を用い、または秦の徐福の後裔であるという説や、呉の太伯の子孫であるという説を採るのを攻撃し、一つ一つ史実を考証してそれらの説を否定した。
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神道流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 09:10 UTC 版)
古来より常陸国鹿島に関東七流(東国七流)と呼ばれ、鹿島の地や香取の地で受け継がれてきた剣技(兵法三大源流の神道流は天真正伝香取神道流などの特定の流派を指すのではない[要引用])。 神道流の流れを汲む剣術流派 鹿島神流(鹿島古流・鹿島中古流) - 國井善弥新当流 - 塚原卜伝天流 - 斎藤伝鬼房新天流 天道流 天真正伝香取神道流 - 飯篠家直霞流 - 真壁氏幹 穴沢流 天真正自顕流 - 十瀬長宗示現流 - 東郷重位 一羽流 - 諸岡一羽卜伝流 微塵流 - 根岸兎角 天然理心流 神夢想林崎流 - 林崎甚助
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