子孫の上泉家による異伝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 15:32 UTC 版)
信綱の子孫と伝える上泉氏は、上泉文書といわれる古文書などを所蔵し、新陰流などが伝える伝承とは異なる独自の伝承を伝える。前橋市上泉町の「上泉伊勢守顕彰・生誕500年祭実行委員会」はこの上泉家伝承を採用しており、上泉家伝承に基づく内容の「剣聖 上泉伊勢守生誕五百年記念碑」を上泉町で2008年に建設したり、シンポジウム・講演会を行うなど活動している。前橋市役所も広報でこの伝承を紹介する。ただし「上泉文書」は一部を除き書籍に採録されておらず、その真偽などについても考証されていない。 諸田政治は、この上泉家の伝承から、松本備前守より天真正伝香取神道流(神道流)を、愛洲久忠(上泉氏伝承では「三好日向」表記)より陰流を修めたとする。なお信綱曽祖父義秀は中条流・念流・京流の達人であり、祖父・時秀はそれに加えて香取神道流を飯篠長威斎に師事、父義綱も松本から天真正伝香取神道流(神道流)を、愛洲久忠から陰流を学んだとし、先祖代々から諸流を修めていたともしている。 加来耕三も同様に上泉文書を閲覧し、諸田説と同じ主張を述べている。また『新陰流軍学『訓閲集』:上泉信綱伝』も、上記の上泉家伝承に基づいて解説する。 信綱没年についても異なる伝承が伝わる。上泉家の口伝書や上杉家の記録によると、天正10年小田原にて没したという。『西林寺過去帳』に関しては諸田が嫡子供養墓説をとっている。
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