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東郷重位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/12/12 04:27 UTC 版)
東郷 重位(とうごう ちゅうい/しげかた、永禄4年(1561年) - 寛永20年6月27日(1643年8月11日))は薩摩藩の武士にして示現流剣術の流祖。幼名は弥十郎、通称は藤兵衛。のち、長門守、和泉守、越前守[1]、肥前守を名乗った。諱は重位、示現流では口伝で「ちゅうい」とする。
瀬戸口重為の三男。瀬戸口家は北薩の土豪東郷氏の遠戚にあたり、同時代の史料には瀬戸口藤兵衛または瀬戸口肥前守の名で登場することがある。天正年間に兄の重治とともに東郷氏嫡家17代目東郷重虎の許可をもらい、東郷氏に復した[2]。なお、外孫で古示現流開祖の種子島次郎右衛門時貞の系図『種子島氏支族美座対馬守時里二男国上氏系図』(「伊地知季安著作集三」の『諸家系図文書四』の史料)では『東郷肥前重信』と表記されている。
- ^ 示現流師範家の東郷氏の家系図である「平姓東郷氏支族系図」参照。なお、「示現流聞書喫緊録附録系図」では越前守を称したことが書かれていない。また、「旧記雑録後編4」の「[[元和 (日本)|]]6年薩隅日三州一所衆鹿府衆中高極帳」に「東郷越前守殿高324石」とある。
- ^ 「本藩人物誌」
- ^ 実際に、重位作成の鍔等が現存している。
- ^ 現在の霧島市向花町と清水町の字に鳥越がある
- ^ 時代は下るが、慶長10年に重位と同じ国分衆だったものは国分城 (大隅国)の項を参照
- ^ 参照 「国分郷土誌資料編」所収『国分諸古記』
- ^ 『薩藩旧記雑録』後編5-1000所収 伊勢貞昌発東郷重位宛書状
- ^ 任期中の正保2年(1645年)、坊泊郷で九玉神社鳥居が再建される。(「諸郷地頭系図」)
- ^ 「寛永十三年、鹿児嶋衆中屋敷御検地帳」(「鹿児島市史III」所収)によると、新堀の下に『東郷肥前守 下屋敷 2反5畝』とあるので、これ以前に移ったものと思われる
- ^ 兄(「示現流聞書喫緊録附録系図」では父とも言われているが、真偽は不明)・東郷安房介重治の文禄年中の石高は400石で、「示現流聞書喫緊録附録系図」では東郷重位が十左衛門家に遠慮したように書かれているが、真偽は定かではない。
- ^ 「平姓東郷氏支族系図」
- ^ 墓地は大正年間に廃される
- 1 東郷重位とは
- 2 東郷重位の概要
固有名詞の分類
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