破産と余波
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/12 15:46 UTC 版)
「ロールス・ロイス RB211」の記事における「破産と余波」の解説
1971年1月、遂にロールス・ロイスは債務超過に陥り、1971年2月4日、管財人の管理下におかれた。これによりL-1011 トライスター計画は深刻な危機に陥った。 RB211の開発はイギリスの国家戦略において極めて重要であったことから、これを完遂するために保守党のエドワード・ヒース政権はロールス・ロイスの国有化を決定した。 ロッキードも民間航空機部門では低シェアに留まり、経営体質も脆弱だったため、ロッキードはL-1011計画を完了するための融資を受けるにあたって、銀行からアメリカ政府による債務保証を求められる状態だった。一部の反対にもかかわらず、アメリカ政府は債務保証を提供した。1971年5月、"ロールス・ロイス(1971)リミテッド"と呼ばれる新会社は管財人からロールス・ロイスの資産を買収し、まもなくロッキードと新たな契約を締結した。新契約では納入遅延の違約金を帳消しとすることが定められ、エンジン単体の価格も110,000ポンド値上げされた。 会社を救うために任命された新会長ケネス・キースは既に退職していたスタンリー・フッカーをロールス・ロイスへ呼び戻した。フッカーはRB211-22の問題を解決するために、技術監督として退職者で構成されたチームを率いた。エンジンは当初予定より1年遅れの1972年4月14日に最終的な認証を取得し、トライスターは1972年4月26日にイースタン航空で運航を開始した。この功績によりフッカーには1974年、ナイトが授与された。 これら一連の出来事によるRB211の開発遅延は、L-1011の就航遅れに繋がった。ロッキードはライバルのDC-10に先を越されてしまったため、L-1011の販売も不振に終わってしまう。 RB211の信頼性は、エンジンの性能要件を満足する事に開発の重点が置かれていたこともあって、運用初期には期待されたたほど良くなかった。初期に納入されたRB211-22は、後の-22Bよりも定格が下げられていた。しかし、運航開始から数年間の改良計画でかなり問題が改善され、それ以降は信頼性の高いエンジンとして成熟している。
※この「破産と余波」の解説は、「ロールス・ロイス RB211」の解説の一部です。
「破産と余波」を含む「ロールス・ロイス RB211」の記事については、「ロールス・ロイス RB211」の概要を参照ください。
- 破産と余波のページへのリンク