田沼意次の幕政とは? わかりやすく解説

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田沼意次の幕政(田沼時代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 05:30 UTC 版)

江戸時代」の記事における「田沼意次の幕政(田沼時代)」の解説

詳細は「田沼時代」を参照 幕府財政は、享保の改革での年貢増徴策によって年貢収入増加したが、宝暦年間1751年 - 1763年)には頭打ちとなり、再び行き詰まり見せた農村では厳しい年収奪苦しみ食っていけなくなった貧農遊民化し江戸などの大都市流れ込んで無宿者化した。さらに拍車をかけたのが田沼時代通して繰り返し引き起こされ天災飢餓続出だった。 これらに対応すべく田沼意次らの田沼時代幕臣達は倹約令などの伝統的な緊縮政策財政赤字対処しつつ、発展してきた商品生産流通新たな財源見出し米以外からの税収確立試みた商品生産流通掌握し物価引き下げるため手工業者仲間組織株仲間として公認奨励して、そこに運上冥加などを課税した専売制実施足がかりとして、座と呼ばれる組織複数設置し各分野ごとの販売独占真鍮座などの座に与えた田沼意次政策幕府財政第一に置いたものであったが、それは権力商人資本密着度を強め町人幕府役人との癒着つながった一方で一般民衆生活基盤弱まった田沼時代収入増加策の立案運用実のところ場当たり的なものも多く利益よりも弊害の方が目立つようになって撤回追い込まれるケース多々あったのである。そして幕府運上金冥加金の上納を餌に自らの利益もくろんで献策を行う町人増え結果的に幕府庶民得にならなかった政策採用することもあった。そのような町人献策幕府内での出世目当て採用していく幕府役人現れた。町人幕府役人との癒着も目立つようになったこのような風潮は「山師運上」という言葉語られ利益追求型で場当たり的な面が多く腐敗目立ってきた田沼意次政策対す批判強まっていた。 大規模な開発策や大胆な金融政策など、開明的革新的な経済政策呼ばれる次の政策は、いわば大山師的な政策だった。この時代利益追求の場を求め民間から様々な献策盛んに行われ民間利益追求幕府の御益追求政治とが結びつき、かなり大胆な発想構想政策立案執行された。同時に田沼時代代名詞である賄賂横行幕府諸藩との利益衝突負担押し付けられ民衆との間に深刻な矛盾生じさせた。 最終的に天明の大飢饉による百姓一揆打ちこわし田沼重用した10代家治の死を契機とした御三家門閥譜代大名層らによる反田活動により田沼失脚し田沼時代終了する

※この「田沼意次の幕政(田沼時代)」の解説は、「江戸時代」の解説の一部です。
「田沼意次の幕政(田沼時代)」を含む「江戸時代」の記事については、「江戸時代」の概要を参照ください。

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