かわら‐ばん〔かはら‐〕【瓦版】
瓦版(かわらばん)
しかし瓦版といった名称が一般的になったのは、明治以降のことであり、それまでは街頭で大きな声で読みながら売っていたいたことから、読売(よみうり)という名で知られていた。ちょうど大きさが瓦と同じ程度であったので収集家達が、その大きさから瓦版と言うようになったとも想像できる。
瓦版
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/26 01:40 UTC 版)
瓦版(かわらばん)は、江戸時代の日本で普及していた、時事性・速報性の高いニュースを扱った印刷物をいう。天変地異、大火、心中などに代表される、庶民の関心事を盛んに報じた。街頭で読み上げながら売り歩いたことから、読売(讀賣)ともいう。木版摺りが一般的。
注釈
出典
- ^ 森田健司 「江戸時代における「かわら版販売者」の形装」『大阪学院大学通信』第46巻第12号、2016年3月1日、pp.1-27.
- ^ 『精選版日本国語大辞典』「大坂安部之合戦之図」と「大坂卯年図」とする。
- ^ a b c d 稲垣史生 『三田村鳶魚 江戸武家辞典』 青蛙房 新装版2007年 p.260.
- ^ 全国歴史教育研究協議会編 『日本史Ⓑ用語集』 山川出版社 16刷1998年(1刷1995年) p.160
- ^ “港区立 港郷土資料館へ行ってみよう! 第11号”. 東京都港区立港郷土資料館. 2019年10月25日閲覧。
- ^ 根岸茂夫 『大名行列を解剖する 江戸の人材派遣』 吉川弘文館 (第1刷2009年)第2刷2010年 p.72
- ^ 北原糸子 『メディア環境の近代化 災害写真を中心に』 御茶の水書房 2012年 p.29.p.30に「大洪水細見之図」、p.31に「大阪市街浸水地の図」が掲載されている。
- ^ 『精選版日本国語大辞典』では、そうした説があるが確証はないとする。
- ^ 『日本大百科全書』では、そうした説もあるが不明確とする。
- ^ 『精選版日本国語大辞典』
- ^ 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』
瓦版
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 08:58 UTC 版)
「彩雲国物語 (アニメ)」の記事における「瓦版」の解説
※この「瓦版」の解説は、「彩雲国物語 (アニメ)」の解説の一部です。
「瓦版」を含む「彩雲国物語 (アニメ)」の記事については、「彩雲国物語 (アニメ)」の概要を参照ください。
瓦版
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 05:57 UTC 版)
江戸時代、地震の被害状況や復興の様子が、瓦版で各地に伝えられた。地震を報じた瓦版にナマズが登場したのは、1819年(文政2年)の伊勢・美濃・近江地震が最初とみられている。この瓦版は「文政二己卯年大角力」と題され、擬人化されたナマズと神々が相撲をとる姿が描かれている。1847年の善光寺地震(弘化4年3月24日)では歌川国輝による「さてハしんしうぜん光寺」にナマズが現れるほか、1853年の小田原地震(嘉永6年2月2日)や翌年の安政東海地震(嘉永7年11月4日)の後にも鯰絵が出版されている。
※この「瓦版」の解説は、「鯰絵」の解説の一部です。
「瓦版」を含む「鯰絵」の記事については、「鯰絵」の概要を参照ください。
瓦版
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/02 06:42 UTC 版)
この事件が、京の都へも伝わり、さっそく瓦版の記事になった。 「丹後の国に於て一夜の内に山湧出る次第(中略)ここに丹後国竹野郡木津の上の村といへる在郷あり、すなわち組(久美)より網野へ至る往還なり 此地に今年弘化四未の正月十一日の夜半の頃、震動蓄電して大雨車軸を流す。村民胆を冷して驚き怖くこと限りなし。ほどなく夜も明け四方静り、雨止み、空晴れわたるに心安堵でようやく外面に出るに、あにはからんや、高き丘、六丈ばかりの山忽然とあらはれたり。衆人又もや前代未聞の事なりなどと、 その噂遠近に高く聞ゆ、村老の曰く実にや宝永のむかしもかかる例ありて御代豊かに栄えしと聞く、正しく弘化の時にあたりて、世界全く弘く化す豊けき御代のしるしぞと悦び祝うと伝へ開て、そのままここにうつし侍ることになん」 京丹後市立郷土資料館にこの瓦版が収蔵されている。
※この「瓦版」の解説は、「上り山」の解説の一部です。
「瓦版」を含む「上り山」の記事については、「上り山」の概要を参照ください。
「瓦版」の例文・使い方・用例・文例
- >> 「瓦版」を含む用語の索引
- 瓦版のページへのリンク