岡本経一とは? わかりやすく解説

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岡本経一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/28 13:54 UTC 版)

岡本 経一(おかもと きょういち、1909年3月25日[1] - 2010年11月15日)は、日本出版人岡本綺堂の養子。青蛙堂書房創業者。

人物

岡山県勝田郡勝間田町出身[2]、旧姓は森部。

13歳で上京[1]額田六福の紹介で作家・岡本綺堂の書生となり、専検(専門学校入学資格検定試験)をとって法政大学の夜学に通う[1]。1930年、法政大学高等師範科(国漢)卒業[1]

1937年に綺堂の養子となった[1]。1944年応召、戦後ソ連抑留され、1947年復員[1]

戦後、青蛙堂書房を創業、社名は綺堂の作品『青蛙堂鬼談』に由来するが、間もなく倒産。1955年に青蛙房として再建し、養父岡本綺堂や三田村鳶魚らの著作を刊行。他にも6代目三遊亭圓生の自伝『寄席育ち』や宇野信夫等の著作も出版している。江戸時代の文化関連の出版により、青蛙房名義で1967年度の菊池寛賞を受賞している。

『岡本綺堂日記』(1987年)等、養父岡本綺堂に関する資料の編纂や出版などを手掛け、文庫版などで綺堂作品の解説も多く行っている(『「半七捕物帳」解説』に所収。2009年に100歳記念で刊行)。

1990年に引退[1]。社業を子息・岡本修一(1948ー2018)[3][4]に譲る。

2010年11月15日、急性心筋梗塞により死去[5]。享年102。

没後

故郷勝央町の「勝央美術文学館」に「青蛙房、岡本経一の仕事」コーナーがある。青蛙房は2代目死去により2019年に廃業し、在庫はすべて八木書店が買い取った[6]

著書

  • 綺堂年代記 同光社 1951。青蛙房 2006.7。編者代表
  • 私のあとがき帖 青蛙房 1980.10、オンデマンド版 2006.7
  • 半七捕物帳」解説 青蛙房 2009.3

賞詞

外部リンク

脚註

  1. ^ a b c d e f g 日外アソシエーツ現代人物情報より
  2. ^ 日外アソシエーツ現代人物情報より
  3. ^ 2018年9月に病没、享年69。青蛙房も2019年をもって閉じられた。
  4. ^ 岡本千秋 (2019年11月26日). “青蛙房ニュース 2019年11月26日 ペンの日”. 2020年5月12日閲覧。
  5. ^ 訃報:岡本経一さん 毎日新聞 2010年11月17日閲覧
  6. ^ 青蛙房と八木書店(菊池壮一)/文化通信8月12日付



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