独裁政権時代の汚職
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 20:18 UTC 版)
「フランシスコ・フランコ」の記事における「独裁政権時代の汚職」の解説
フランコ独裁政権時、家族(特に兄ニコラス・フランコ(スペイン語版)、妹ピラール・フランコ(スペイン語版)と彼の娘婿の第10代ビリャベルデ侯爵クリストバル・マルティネス=ボルディウ)において、多くの汚職が存在していた。しかしフランコは取り巻きに政治的な友愛による寛容を訴え、スキャンダルをもみ消していた。これは報道が抑圧され、自由がなかったために可能だった。 たとえば、「マドリレーニャ・金属製造工業事件(Corrupción en España参照)」の場合には、彼の兄弟は閣僚刑事会議で恩赦を受けた。フランコの妹ピラールは未亡人で10人の子供の母だったため適度な年金だけが収入源だったが、にもかかわらず膨大な財産を蓄積した。最終的にピラールはフランコの死までに年金として1250万ペセタを受け取った。 とりわけ、企業ソフィコ(SOFICO)による不動産詐欺、マテッサによる輸出援助詐欺(Caso Matesa)、コンフェクシオン・ジブラルタル事件、400万リットルの国有石油消滅事件(Caso Reace)などは特に重要なスキャンダルだった。 内戦終結後、破壊や飢饉から国境を越えた闇市場など違法取引が拡大した。その後、経済発展により国は豊かになったが、「パラド宮殿」を中心とする周辺に公式の住居をもついわゆる「パルド一族」の影響を利用していた。一族は蓄積された資本を主にスイスへと回避させた。 ホセ・アントニオ・マルティネス・ソレルは次のように述べている。 「独裁の下ではコンスタントかつ広範な汚職が存在していた」。 フランコ家は「Pazo de Meirás」やガリシアの邸宅「Palacio de Cornide」、マドリード近くの 「El Canto del Pico」といった不動産、建築物など、独裁時代莫大な財産を蓄積した。その財産についてのリサーチ・ブックを出版しているマリアーノ・サンチェス・ソラーによると、その家族は150以上の異なる企業と3600〜6000万ユーロにも上る資産を持っていたとされる。 2008年、左派政党Unidaは国家への財産権返還要求を議会に法案として提出したが、最終的に当時の社会労働党(PSOE)政権はそれは「文化的関心事」であるし、市民による訪問は許可されるものの(その所有は)フランコ家の権限にとどまるとした。この件に関して、保守政党の国民党(PP)は提示されたイニシアチブのいずれにも反対した。
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