やきだま‐エンジン【焼(き)玉エンジン】
読み方:やきだまえんじん
焼玉エンジン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/30 03:34 UTC 版)
焼玉エンジン(やきだまエンジン、英:Hot bulb engine)とは、焼玉(やきだま、英:Hot bulb)と呼ばれる鋳鉄製の球殻状の燃料気化器を兼ねた燃焼室をシリンダーヘッドに持ち、焼玉の熱によって混合気の熱面着火を起こし燃焼を行うレシプロ内燃機関の一種。焼玉機関とも言われる。英語では "Hot bulb engine" と呼ばれ、セミ・ディーゼルと呼称する文献もある。4ストローク型も2ストローク型も存在する。
- ^ 一部文献にこれを「水の熱分解による水素と酸素に発生により、それが燃焼した」という記述が散見されるが、この当時の焼玉機関程度の温度(400℃前後)では水の熱分解(少なくとも700℃以上が必須)は発生しないため誤りである。
- ^ 重油はもちろん、例えば日本ではJIS1号灯油(主に暖房・灯具用)制定前の石油系軽質燃油には多量の硫黄が含まれていた。後年ディーゼルエンジンの排ガス浄化の妨げにもなっており、動力用の石油系脱硫燃油が主流となるのは時代も大きく下って21世紀を待たなければならない。
- ^ 藤田護『小型船エンジン読本、三訂版』成山堂書店、1998年、157頁。ISBN 4-403-61051-X。
- ^ 大半の車両は歯車駆動。
- ^ 文献によっては80輌以上とするものもあるが、早期に運用停止した事業者から他社に譲渡された車両を重複計算している可能性があり、正確な数値は判然としない。
- ^ 申請に対する認可という形で各軌道ごとに施行された。
- ^ 最大在籍輌数は20輌。廃線前の1939年(昭和14年)4月に偶然同地を訪れた牧野俊介が撮影した写真と記述(『昔々の軽便のアルバム 自転車に抜かれたコッペルたち』プレス・アイゼンバーン、1980年、pp94-99)によれば、当時少なくともNos.2・7・10・12・18の5両が現役として存在し、車庫には10両分以上の石油発動車用部品が蓄積されていたという。なお、1934年(昭和9年)の段階で羽犬塚 - 黒木間の路線長は17.2 km、自動車では所要50分のところを石油発動車は1時間20分かけて運行していた。
- ^ “中岩瀬SLを走らせる会(NSL)”. 2014年9月20日閲覧。
焼玉エンジン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 10:03 UTC 版)
従来漁船に多く用いられた焼玉エンジン(Semi-diesel engine)はディーゼル・エンジンに代わった。
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焼玉エンジン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 09:50 UTC 版)
打瀬船では、焼玉エンジンと石油発動機が、終戦後からはディーゼルエンジンも動力機関として使用された。その中で焼玉エンジンは、マグネトーなどの着火のための電気装置やキャブレターなどの精密な燃料霧化噴射装置もなく、簡便な構造なので安価であり、保守も簡単であった。また、適切に焼玉内で燃料を気化できれば、燃料費の安い低質重油でも動かすことが可能であったため、打瀬船に多く搭載され使用された。一方、ディーゼルエンジンは高性能で高価であり、軍事利用が優先されたため、漁船での利用の拡大は、太平洋戦争の終戦以降である。
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