歴史
『一九八四年』(オーウェル) 1984年、世界は3つの超大国に分割されていた。その1つ、全体主義国家オセアニアの真理省に勤務するウィンストンは、過去の新聞・雑誌等の記事を政府の方針に従って次々に書き改める、歴史の訂正作業に従事していた。
『切腹』(小林正樹) 浪人・津雲半四郎が井伊家の侍3人と決闘し、彼らの髷(まげ)を切り落として辱める。さらに井伊家の藩邸に乗り込んで4人を斬り殺し、立ち腹を切った後に、鉄砲隊に射殺された。しかし井伊藩の記録には、「精神錯乱の浪人が切腹し、藩士4人が病死した」と書かれた。髷を切られた侍たちは切腹するが、彼らも病死扱いになった。
『頼朝の死』(真山青果) 将軍・源頼朝の死は、不名誉なものだった(*→〔女装〕8)。彼の妻・尼御台(=北条政子)は重臣・大江広元と協議して、天下政道のために頼朝の死の真相を隠す。先年、頼朝は稲村ヶ崎で安徳天皇の亡霊を見て、落馬したことがあった。その折の創所(きずしょ)が再発して死去、と世間には披露され、皆これを信じた。
★2.歴史を語る老人。
『今鏡』「序」 嘉応2年(1170)3月10日過ぎ、大和国を旅歩きする人たちが、春日野に住む150歳余の老尼に出会った。老尼は大宅世継の孫娘で、第68代・後一条天皇の万寿2年(1025)から、第80代・高倉天皇の嘉応2年まで、143年(*正しくは146年)間の歴史を語った。
『大鏡』「序」 万寿2年(1025)5月、雲林院の菩提講に詣でた人々は、190歳の大宅世継と180歳の夏山繁樹が対話するのを聞いた。2人は、第55代・文徳天皇即位の嘉祥3年(850)から、第68代・後一条天皇在位の万寿2年まで、176年間の歴史を語り合った。
『増鏡』「序」 ある年の2月15日、嵯峨の清涼寺に詣でた人が、100歳過ぎの老尼に出会った。老尼は、第82代・後鳥羽院誕生の治承4年(1180)から、第96代・後醍醐天皇還京の元弘3年(1333)夏まで、150年余の歴史を語った。
『水鏡』上巻「序」 ある年の9月10日頃の深夜、葛城山で誦経する30代前半の修行者が、神代から生きている老仙人に出会った。老仙人は誦経聴聞の礼に、神武天皇即位の年から、大宅世継の昔語りの始発点である嘉祥3年(850)まで、1510年間の歴史を語り聞かせた〔*修行者は翌々年の2月、この体験を73歳の老尼に語った〕。
『かのように』(森鴎外) 五条秀麿は、国史を畢生の事業として研究するつもりである。彼は大学卒業後洋行し、ベルリンに3年いた。そして日本へ帰る頃には、「神話と歴史を分けねばならない」と考えるようになっていた。「神話は歴史ではない。事実ではない。そのことを承認して置いて神話を維持して行くのが、学者の務めであり、人間の務めである。神霊が、あたかも存在するかのように祭るのだ」。このような秀麿の思想を、子爵である父は危ぶんでいた→〔猿〕7e。
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