樋口フジとの師弟関係を解消、ハツジサワの弟子となる
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「小林ハル」の記事における「樋口フジとの師弟関係を解消、ハツジサワの弟子となる」の解説
12歳の時、ハルは大叔父から大人用の三味線を買い与えられ、13歳のときには二丁三味線で演奏することが許された。これはハルが一人前の瞽女として認められたことを意味した。しかしフジからの評価は芳しくなかった。フジはハルをしばしば「ぼっこれ薬缶」と呼び、「お前みたいな唄の下手なのはいらない」と罵った。実家のことを持ち出され、「おまえんとこは鉄砲打って鳥とるから、たたりで声が出ないんだろう」と当てつけられることもあった。フジはハルの下に2人弟子をとると、「唄が下手だから、お前はいらない」という理由でハルを巡業から外すようになった。フジはハルの低く男性的なところのある声が気に入らないようであったが、ハルにも「親方と同じになんか唄わんねェ」という思いがあった。巡業から外され、やむなく家に戻ったハルは大叔父に連れられて巫女に占ってもらった。結果は「そこでは因縁がないし、そこに置いても苦労するばっかりだから引きとった方がいい」というものであった。同じ頃、たまたま姉弟子の一人が瞽女から足を洗うことを決めており、ハルの将来を案じた姉弟子の計らいでフジのほうから暇を出す形で、縁切り金を払うことなく師弟関係を解消することができた。。1915年(大正4年)のことである。この時、ハルの脛にはフジに杖で打ち据えられてできた傷が残っており、調べてみると骨に無数のヒビが入っていた。 実家に戻ったハルに声をかける瞽女もいた。長岡市の瞽女組織の系統に属するハツジサワもその一人で、「唄をうたわなくとも、他のことに使ってもいいから、しばらく貸してみてくれ」と熱心に口説かれたのをきっかけに、1915年(大正4年)、年季21年の条件でサワに弟子入りした。これは長岡の瞽女組織を取り仕切る山本ゴイから直接の許可を得た上でのことであった。その際に山本ゴイに唄を披露したハルは腕前を褒められ、一人前の瞽女だけが着ることが許される赤い半衿のついた襦袢を与えられている。ハルには新たに「チヨノ」という瞽女名がつけられた。樋口フジは、ハルがサワの弟子になったことを知ると、「家にいるからという約束で帰したんだ。他に出るなら縁切り金をもらいたい」と言い出し、結局、三味線1丁をフジに渡すことで話がついたサワは絶対的な存在として振る舞ったフジと違ってハルを尊重し、陰湿な仕打ちをすることもなかった。ハルによると、サワのもとで自由に飲食ができるようになってから、それまでが嘘のように声が出て上手く唄えるようになったという。 18歳の時、サヨという年上の晴眼者の瞽女と巡業をすることになった。サヨは「気が強く、すぐ乱暴をふるう」と仲間内でも評判のよくない人物であった。このサヨから、ハルは後の人生を左右するほどの怪我を負わされてしまう。ある村でハルが小さな堀の中に落ち、それを見た村人がサヨにもっと気を付けてやるよう注意した。腹を立てたサヨは人のいないところでハルを突き飛ばして倒し、杖でハルの局部を執拗に突いたのである。傷はなかなか癒えず、歩いたり唄ったりすると痛みに苛まれたが、ハルは「ころんで、木の根に引っかかった」と言って事の真相を誰にも話さなかった。警察沙汰になりサヨがいなくなれば巡業ができなくなると考え、「もともとは、おらが堀に落ちたのが悪いんだ」と耐え忍ぶことを選んだのである。医者に「転んで出来る傷じゃない。大事なところをひどいけがをして、いったい何をした」と言われ、サワに「ほんとうのことを言ったらええ」と勧められても真相を話すことはなかった。医者には「手術を受けなければ一生子供が産めないことになる」と告げられたが、幼い頃から「人並みに所帯を持てるなんて思うな」と言われ続けてきたハルは手術にかかる費用が100円と高額だったこともあり、「自分は子供を作るようなこともない」として手術を受けなかった。ハルは「女性としての機能を失った」と認識し、その後の人生において縁談がきても応じることはなかった。晩年、ハルは本間章子に対し次のように語っている。 すべてがとうの昔に終わってしまったことだし、誰に言ってもどうにもならないから、今まで黙って運命に従ってきたが、あのとき痛めた傷だけは、今でも痛んでしようがない。あんな怪我なんかしないで、一度でも、望みの叶う体だったら、私の人生はどんなに幸せだったかもしれない。だけどそんなことは、これまで、誰にも、一言だって言わなかった。言ってみたところでどうにもならないのだから。 — 本間2001、144-145頁。 サヨはハルが真相を語らないのをいいことに「なあに、こんげな目の見えない者だもの、転んだんで起こしたらそんなになっていたった」などと周囲に話していたが、ハルに傷を負わせた数年後に病死した。その時ハルは「人に悪いことをすると、自分に返ってくるものだ」と思ったという。
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