村の食生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/08 03:42 UTC 版)
「川谷村 (新潟県中頸城郡)」の記事における「村の食生活」の解説
1592年(文禄2年)の御検地(太閤検地)によると、川谷は美守郷に属し人口は309人。縄高(村内の米の生産高)は55石3斗1升9合で、本納(年貢高)は13石3斗2升3合6勺であった。仮に4斗俵に換算すると、約138俵を生産し33俵余りを上納することから、残りの105俵で309人の村人(一人あたり約136合)が1年間生活しなければならない。川谷村の百姓がいかに苦しい生活をしたかが計り知れる。 古老の話によると、明治半ばの頃は米七分と粟三分ほどを混ぜ、大根を刻んで炊いた粟飯を主食とした。漬け物は大根をぬか漬けにしてたくあんとし、野菜は塩漬けとし、味噌漬けは高級であった。また、味噌をこして汁として「すまし」を作り、醤油代わりとして日常用いたという。
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