映画評価とは? わかりやすく解説

映画評価

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 15:34 UTC 版)

憂国」の記事における「映画評価」の解説

憂国』はツール国際短編映画祭劇映画部門第2位となったが、その時評価賛否両論あり、中にはショック与えることをねらった露出趣味」という映画評論家・ジョルジュ・サドゥールの辛口評もあったが、『ヌーヴェル・レプブリック』紙のベルナアル・アーメルは、『憂国』を「真実な、短い、兇暴な悲劇」とし、近代化された「能」の形式中にギリシア悲劇の持つ或るものを、永遠の詩を、すなわち愛と死をその中にはらんでいる」と評し、以下のように解説している。 驚くべきことに、ワグナー(『トリスタンとイゾルデ』)はこの日本影像イメージ)に最も深く調和している。そしてこの日本影像の持つ、肉惑的であると同時に宗教的なリズムは、西洋これまでに創り得たもっとも美し至福の歌の持つ旋律構成に、すこぶる密接に癒着しているのである。 — ベルナアル・アーメル「ヌーヴェル・レプブリック」紙 また、フランス一般観客から、「良人切腹している間、妻がいうにいわれない悲痛な表情でそれを見守りながら、しかも、その良人のはげしい苦痛自分がわかつことができないという悲しみひしがれている姿が最も感動的であったと言われ三島感動した述べている。 澁澤龍彦は、「三島氏はこの映画で、日本人集合的無意識奥底よどんでいるどろどろした欲望に、映像として明確な形をあたえ、人間の肉のけいれんとしてのオルガスムを、エロティシズムと死の両面から二重写し描き出した」と評価している。 安部公房は、小説憂国』を支えていた「精緻な均衡」とくらべ、映画の方は、「ひどく安定欠けたところ」があったが、むしろその不安定さのもつ「緊張感」にひきつけられたとし、次のように語っている。 その不安定さは、もしかすると、作者映画を完全には信じていないところからくるのだったかもしれない信じていないからこそ作者あれほど前面押し出され来てしまったのだろう。作者主役演じているというようなことではなく、あの作品全体が、まさに作者自身分身なのだ。自己の作品化をするのが、私小説作家だとすれば三島由紀夫逆に作品に、自己転位させようとしたのかもしれない。むろんそんなことは不可能だ作者作品とは、もともとポジとネガの関係にあり、両方完全に一致させてしまえば相互に打ち消しあって、無がのこるだけである。そんなことを三島由紀夫知らないわけがない知っていながらあえてその不可能に挑戦したのだろう。なんという傲慢な、そして逆説的な挑戦であることか。ぼくに、羨望に近い共感感じさせたのも、恐らくその不敵な野望のせいだった違いないいずれにしても単なる作品評などでは片付けてしまえない、大きな問題はらんでいる。作家姿勢として、ともかくぼくは脱帽惜しまない。 — 安部公房「“三島美学”の傲慢な挑戦映画憂国』のはらむ問題は何か」

※この「映画評価」の解説は、「憂国」の解説の一部です。
「映画評価」を含む「憂国」の記事については、「憂国」の概要を参照ください。

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