国鉄旧形電車の車両形式
旧形電車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 02:06 UTC 版)
51系電車 開設初期にクハ68形のみが配属され、70系の編成に混用された。40系・42系からの改造編入車を含む。クハ76形の追加転入により、松本運転所や長岡運転所に転出した。 70系電車 末期には49両(T編成)が所属していた。 1968年に大垣電車区から転入し、電化された中央本線(同年名古屋 - 中津川間の電化が完了した)に投入された。その際基本6両編成 (TcMMTMTc) 、付属4両編成 (TcMMTc) に分けられ、ラッシュ時には両者を併結した10両編成で運行された。基本編成には、3扉化改造を受けた二等車格下げのサハ75形100番台またはサハ85形100番台が連結されていた。 中央本線名古屋 - 南木曽間で運用されたほか1976年には岡多線にも投入されたが、1978年12月17日にさよなら運転を兼ねた快速3730M(中津川→名古屋間)を最後に営業運転を終了し、翌年までに全車廃車された。 72系電車 名古屋地区の日本国有鉄道(国鉄)路線では初めての4扉通勤車。5両編成 (TcMMMTc) を組み、単独または2編成併結で名古屋 - 釜戸間の普通列車に使われていた。所属したのは主に72系として新製された車両(モハ72形500番台、クハ79形300番台)にアルミサッシ化等のA更新を施工したもので、他に少数の全金属車(900番台、920番台)が混用された。塗色は70系と同じ横須賀線色であった。前面行先表示器は使用されなかったが、側面に行先標を掲出していた。1977年に後述の103系に置き換えられて廃車となった。 80系電車 1973年の中央本線中津川 - 塩尻間電化に際し、同区間の普通列車用に配置されたもので、TcMMTcの4両編成を組んだ。使用区間に存在する狭小建築限界トンネル通過のため、電動車はパンタグラフ取り付け部分の屋根を低くした800番台や狭小建築限界に対応したパンタグラフ (PS23) を装備したもののみが配置されていた。1980年の新性能化により廃車となった。
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