旧局舎とは? わかりやすく解説

旧局舎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 16:36 UTC 版)

大阪中央郵便局」の記事における「旧局舎」の解説

設計吉田鉄郎 / 逓信省営繕課 施工清水組(現:清水建設竣工1939年昭和14年用途郵便局 構造鉄筋コンクリート造 規模6階当時逓信省営繕課吉田鉄郎による設計で、施工清水組(現:清水建設)、1939年昭和14年竣工西洋近代建築脱却した現代建築であるとして、また、逓信建築代表作品一つとして高い評価得ている。 荘厳なグレータイル外壁シャープ輪郭、階が高くなるにつれて窓が少なく階高低くなる割付けにも独自のモダンな美意識表されている。 来日したドイツ建築家ブルーノ・タウトが、「伊勢神宮桂離宮にも通じ合理性機能性美しさ融合したモダニズム傑作」と、この建物高く評価した2003年には、DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築にも選ばれている。

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旧局舎(飯倉ビル)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 21:06 UTC 版)

麻布郵便局」の記事における「旧局舎(飯倉ビル)」の解説

2018年まで入居していた建物1930年昭和5年)に竣工した逓信省貯金局庁舎で、設計は旧大蔵省営繕管財局施工銭高組である。1943年昭和18年)から逓信本省庁舎として使用され1949年昭和24年)に二省分離(郵電分離)により発足した郵政省1969年昭和44年7月まで郵政本省庁舎として使用していた。なお、当郵便局1945年昭和20年)に東京大空襲被災した影響逓信本省庁舎仮住まい翌年1946年昭和21年)、正式に入居している。当初建物正面向かって左側の外務省飯倉公館側に位置していたが、1984年昭和59年)から1987年昭和62年)にかけての模様工事の際、建物正面向かって右側へ移転している。 郵政本省庁舎千代田区霞が関移転した後は引き続き飯倉分館」として長きにわたり使用されていたが、千代田区大手町にあった旧日郵政公社東京支社2005年平成17年5月にこの建物移転2007年平成19年10月1日民営化後郵便局株式会社が、2012年平成24年10月1日以降日本郵便株式会社が「日本郵政グループ飯倉ビル」として所有当局のほか日本郵便株式会社東京支社などグループ各社組織入居していた。

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