日本共産党弾圧と治安維持法改正
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「国体」の記事における「日本共産党弾圧と治安維持法改正」の解説
この間の1927年7月、コミンテルンが日本の君主制の廃止を謳う「日本問題に関する決議」を採択する。いわゆる27年テーゼである。日本共産党は27年テーゼに基づき活動を始め、翌年2月の衆議院選挙に11名の党員を労働農民党から立候補させて公然と大衆宣伝を行う。選挙運動では、日本共産党の名を入れたビラをまき、共産党のテーゼを大衆に宣伝する。 田中内閣は共産党が国民に影響することを恐れて密かに内偵を進め、3月15日未明、共産党の党員やシンパなどの約1600名を一斉検挙する。三一五事件である。文部大臣水野練太郎は訓令を発し、この事件を「国家のため一大恨事」と断じ、「極端なる偏倚の思想を根絶し懐疑不安の流弊を一掃する」こと、そして「学生生徒をしてこれに感染することなからしめんがため、特に心力を傾注してわが建国の本義を体得せしめ国体観念を明徴ならしめ、もつて堅実なる思想を涵養するに勉むる」ことを指示する。衆議院では、尾崎行雄提出「思想的国難に関する決議」が圧倒多数で採択される。貴族院議員は各派代表が揃って田中首相を訪問し「日本共産党の主義行動は根本的に我が国体を破壊せんとするものの如くなれど、かかる行動に対しては徹底的に弾圧を加うる意思なるや否や」などと問い詰める。各種の教育団体は一様に国体観念の涵養を高唱する。たとえば全国聯合小学校教員会総会は「国体観念の涵養に努め国民精神の振興を図り以て国運の進展に貢献せんことを期す」という宣言を決議する。また教育社会の中央機関を自認する帝国教育会は、全国聯合教育会の決議を受けて、思想問題研究会を設置する。 田中内閣は治安維持法の国体変革罪の最高刑を死刑に引き上げる法案を帝国議会に提出するが、法案を審議する委員会の委員長席を野党に取られて、法案は審議未了で廃案になる。そこで田中内閣は緊急勅令により治安維持法改正を強行する。緊急勅令を出すには緊急性の口実が必要であり、これについては原法相が名古屋の第3師団が山東出兵に出征する際に反戦を働きかけた者がいた事案を示し、「彼らに対し厳重なる警戒を加えるにあらざれば、彼らはますます国体変革を目標としてこの大胆不敵の売国的運動を継続し、我が国の治安を根本的に破壊せんことを努むるの恐れある」と説明する記事を新聞に載せる。治安維持法改正緊急勅令案を審査する枢密院では緊急性について疑義が出され異例なほど紛糾するが、結局多数をもって可決される。枢密院の審査委員会では「危険思想の青年間に流布することの恐るべき次第」「学校教育においては国体観念を明らかにし国民的信念を涵養すること最も必要なり」といったと発言が相次ぎ、その結果として審査報告書に付せられた警告条項に「思想の善導につき当局は学校教育たると社会教育たるとを問わず教育の改善に最も力を致すべき」との要求が掲げられる。枢密顧問官らは特高警察や思想検事の拡充よりも思想善導を優先させたのである。
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