日本における秤量貨幣とは? わかりやすく解説

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日本における秤量貨幣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/03 16:20 UTC 版)

秤量貨幣」の記事における「日本における秤量貨幣」の解説

計数貨幣として分類される一分判正確に小判四分の一量目であり、また明治時代金貨および銀貨など、世界各国本位金貨および本位銀貨についても量目額面比例するようにつくられており、これらは秤量貨幣発展形としての計数貨幣ということになる。 金や銀が、金貨銀貨などの計数貨幣化される以前においては砂金その他の塊の形で支払にあてて、実際取引の際にその計量計って用いた。もっとも古い時代においては金銀入手できたのは支配階層貨幣形態の違う対外貿易や高級品を扱う商人などに限定されていた。 奥州では古くから砂金産出し量目に応じて取引使用され砂金十両44匁、約164グラム)を一裹(つつみ)と呼び、後に判金仕立てられるうになる44匁を金一と呼ぶようになったまた、西日本から北陸東北各地偏在する銀山から産出される灰吹銀は、極印打ったものが同じく量目に応じて取引使用され、銀十両43匁、約161グラム)を一裹あるいは銀一枚と呼ぶようになった戦国時代の日本には両替商出現し金銀両替のみならず金銀鑑定一定の価値ごとに封包を行って取引便宜を図ることも行った江戸時代に入ると、江戸で金貨による計数貨幣による統一が行われたが、上方では丁銀小玉銀などの銀の秤量貨幣依然として用いられた。とはいえ丁銀小玉銀混ぜて一定の量目価値にして包封した常是包形式支払を行うのが一般的であったため、実際に計量行って取引をしたのは小玉銀主体とした小額取引大半であったその後南鐐二朱銀発行によって銀の計数貨幣化が進行し銀目取引実態藩札手形よるもの中心となり、慶応4年1868年)に明治新政府によって銀目廃止布令出され丁銀などは使用停止となり、日本の秤貨幣の歴史幕を閉じる事になった

※この「日本における秤量貨幣」の解説は、「秤量貨幣」の解説の一部です。
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